イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

この世の片隅をさまよって

すべてのことが新しく

今回の件については、書きたいことはすでに、ほぼすべて書き終えました。このシリーズの締めくくりとして、あと一つだけエピソードを書いておくことにしたいと思います。 「安心したまえ。君の眼には、とくに問題はない!」二週間ほどまえ、Dr.Yのところに、…

生きたい、どうしても

書くことに、だいぶブレが生まれてきています……。一度はすべてのことが落ちついたように思えたので、今回はゆったりとした気持ちで静かに書こうと思っていたのですが、ここ数日のところ、身体上・精神上・社会上の悩みがふたたびマックスに高まっているので…

神の存在について

ここまで来たら、救いについて、もう少し書いておくことにします。くり返しになってしまいますが、僕とは異なった意見を持っている方は多いと思いますので、「これこそが真理だ!」というのではなく、何かの参考になればということで考えてみます。 死ぬこと…

死ぬことと救いの可能性

苦しみと絶望と死について、もう少し分析を加えておこうと思っていましたが、細かく書いているとキリがありません!そうしたことについては、いずれまた別の機会に考えなおすことにして、今回の記事では、僕が絶望からどうやって立ち直ったのかについて書い…

ニーチェに問いかける

今回の機会を利用して、最近の自分の状況を踏まえつつ、デカルトだけではなく、ニーチェにも哲学上の疑問を投げかけておくことにします。紙面の都合上、大まかな構図を描くだけになってしまいますが、ご了承ください。 19世紀ドイツの哲学者であるフリードリ…

デカルトへの疑問

すでに、精神的にも肉体的にも、だいぶ回復しつつあります!今回は、以前の記事で考えたデカルトの「高邁の心」について、今の地点から考えなおしてみることにします。 すでに一度論じましたが、デカルトは『情念論』のなかで、高邁の心のことを道徳の鍵であ…

ただ生きている

太宰治『人間失格』の終わりには、次のような文章があります。 「いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一さいは過ぎて行きます。」 僕にはこれまで、太宰治の作品が深く心に染みたことはあまりありませんでしたが、さきの一週間を通して、太宰が…

やめたいけれどやめられない

食べること、音楽、眠ること。このブログではここのところ、リフレッシュの手段を追いもとめてきました。まだまだリストを続けることもできそうですが、そろそろ、僕自身にとっての本題に入らなければならないようです。 やはり、自分をごまかそうとしても、…

存在しないことの幸福

おいしいものを食べることと、さりげない音楽を聴くこと。どちらも、リフレッシュの手段としては理想的なものです。けれども、私たちを生みだした母なる自然は、こうしたやり方をはるかに超える、究極のリフレッシュ・メソッドをすべての人に与えてくれてい…

さりげない音楽

確かに、食べることは気分転換にはもってこいであるといえますが、有限な肉体をもっている私たち人間は、四六時中食べているわけにもゆきません……。そんなことをしていれば、またたくまにスーパーメタボリックボディーになってしまいます!もう少し、生活の…

おお、マスカルポーネはちみつパン

僕が、自分でも困ったものだと思っている性格の一つとして、「一つのことに夢中になりすぎると、歯止めがきかない」というものがあります。フランスの哲学者であるベルグソンは、考えすぎるあまりに、勉強のしすぎで過労で倒れたことがあるそうですが、こう…