イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

哲学

〈善〉は容赦しない

ここで、人格の完成というモメントにもう一度立ち戻って考えてみることにします。 「人間は、完全な人間になるという不可能な要求を課せられつつ生きてゆくものなのではないか。」 聖人になることへの、あるいは人格の完成への要求は、意識するとしないとに…

役者であることの不可避

万人聖人主義というイデーが多少なりとも大げさに響くことは否めませんが(ただし、一般に、ある思想の徹底性がその思想の弱さとなることはない)、同じ問題をより控えめな視点から眺めてみることはできるかもしれません。 「私たちは自分たち自身の日常を生…

現実主義に基づく非現実主義

聖人というトピックに話が及んだので、この機会にひとつの問いを提出しておくことにします。 「どれほど突拍子もなく響くにもせよ、この世が抱える問題は、すべての人が聖人になる、あるいは、聖人になることを目指すことによってしか解決されえないのではな…

聖人について

「哲学が目指すところのあるべき人間とは、ある種の聖人にほかならない。」 「あるべき人間」という形象が、人間に許されるかぎりでの最高の善を体現しているならば、そうした人を呼ぶための言葉としては、この聖人という語くらいしか残されていないといえる…

最終地点と聖なる狂気

わたしは人間として、どのように生きるべきか。今回はこの問いのうちに含まれる、「人間として」という表現について考えてみることにします。 「哲学は、あるべき人間の姿にたどりつくことを目指す。」 望もうと望むまいと、私たちは人間として生まれ、人間…

問うべき問いとは

それでは、哲学が立てるべき問いのうち、最も重要なものとはなんだろうか。筆者は、それは次のような問いなのではないかと考えます。 「わたしは人間として、どのように生きるべきか。」 近代の哲学はおおむね、「わたしは何を知りうるか」という問いを中心…

「隠れて生きよ」

前回は地味さについて考えてみましたが、本当は、ここはもう少し突っこんだ考察が必要かもしれません。 「本当の命はこの世の喧騒から離れたところにしか見つからないものだとしたら、どうだろうか。」 哲学者、それから芸術家は、この世のさまざまな組織や…

地味なものの輝き

倫理の「味気なさ」について、次の二択を通してもう少し考えておくことにします。 問い: 「哲学者が読むべきものとは何か?」 1. 派手で目を引くが、読んだ後にはすぐ忘れてしまうもの 2. 地味で目立たないが、読んだ後にも着実に残るもの このように二択を…

倫理と味気なさ

前回の記事で人格の完成という語を不要に用いてしまったので、この語について検討を加えておくことにします。 哲学の目的に関する二択: 1. 哲学者は、人格の完成をめざす。 2. 哲学者は、人格の完成をめざさない。 このように二択で迫られるとなると、やは…

「貴重な友人」

「わたしにとって、わたし自身の倫理的欠陥を指摘してくれる友人の存在はかぎりなく貴重である。」 ここでは、インターネット上のコミュニケーションはとりあえず除外して、直接に対面する生の人間関係に話を限定することにします(前者には別枠での考察が必…

大人と子供

ここで一つ、次のような問いについて考えておくことにします。 「倫理的に欠点のある人間が、倫理について語ってもいいのだろうか。」 直観的には、何か欠点があるならば、まずは自分自身のことを正すべきなのではないかとも思えますが、この問いに対しては…

相対性をめぐるアポリア

倫理をめぐる「融通のきかなさ」について、もう少し考えてみます。 1. 倫理は時代と場所によって変化する、相対的なものにすぎない。 2. 倫理は絶対的かつ普遍的なものであり、変化することがない。 現代において圧倒的に支持が多いのは、おそらく1の方であ…

人間における非人間的なもの

炎上の無根拠性テーゼ :たとえ何らかの倫理的過失を犯した人間がいるとしても、その人間を罪人として断罪し、個人または集団で非難の集中砲火を浴びせることには根拠がない。 すでに見たように、この命題を「ほぼア・プリオリに真」であるとみなせるとすれ…

「ほぼア・プリオリに真」

罪の普遍性テーゼ: すべての人が、何らかの倫理的欠陥を持っている。 もう少し、この命題について考えてみます。 自分自身が倫理的欠陥にまみれているので、書くのもはばかられるところがありますが、筆者はこれまで、倫理的欠陥のない完璧な人間に出会った…

罪の普遍性テーゼ

受け入れのモメントについては、次の点を思い起こしておくのが有益であるように思われます。 「他者を糾弾しようとするわたし自身もまた、倫理的欠陥の持ち主にほかならない。」 他者を人でなしであると宣告するためには、宣告する自分自身が「まともな人間…

無条件の受け入れ

これまで剥奪と暴力のモメントについて見てきましたが、ここからは、これらのものに対するオルタナティヴの可能性を探ってみることにします。 「無条件の受け入れが、議論と対話における平和の条件である。」 議論している相手を、自分と同じ人間として受け…

迫害には根拠がない

「人間であることの権利の剥奪は、究極的には根拠がないままに行われる。」 いじめの現象を例にとって考えてみます。子どものうちでも、確かにいじめを受けやすい性質というものはあり、それは、身体上の性質から精神上の性質にわたり、さまざまなものがあり…

剥奪と暴力

裁きの宣告: そんなことをする(言う)なんて、あなたは人でなしだ。 「裁きの宣告は、人でなしとみなされた人間から権利と尊厳を剥奪する。」 通常状態の人間の世界においては、「互いに危害を加えてはならない」という原則(これを危害原則と呼ぶことにし…

宣告と炎上

前回に用いた「人でなし」という語については、もう少し掘り下げて考えてみる必要がありそうです。 裁きの宣告: そんなことをする(言う)なんて、あなたは人でなしだ。 人でなしとは非–人間を、あるいは人間以下の存在を指し示す言葉です。この表現のうち…

議論することの危険

ここで一点、注目しておいたほうがよいと思われる論点を指摘しておくことにします。 「倫理についての議論は、感情的な反応をきわめて引き起こしやすい。」 そもそも、議論というもの自体にこの懸念が常に付きまとうという点は否めませんが、こと倫理となる…

究極の本音

動物食の例からもう一つ、今回の探求に関係のある教訓を引き出しておくことにします。 「感性的なものと理性的なものの衝突が、倫理的な問題の核をなす。」 この点については多数の人が同意するのではないかと思いますが、動物の肉はおいしい。そして、この…

底なしの問い

動物食の例から、もう一つの帰結を引き出しておくことにします。 「倫理は私たちを、私たち自身をめぐる論争のうちに巻き込まずにはおかない。」 くり返しになってしまいますが、ここでは動物食の可否を論じたいわけではありません(詳しくは、別の機会に検…

動物食の例

倫理的に生きようとする人には時に(しばしば?)、次のような疑問を投げかけたくなる瞬間が訪れます。 「倫理なんて、すべて忘れて生きる方が楽ではないのか。」 一言でいえば、倫理はストレスの原因になる。思い悩んで悔い改めて、それでも何もできず、胃…

利益に反するライフスタイル

問題はつまるところ、誰もが知っている次のような論点に帰着するように思われます。 「倫理的に行動することは、自分の直接の利益にはつながらないことがありうる。」 パンを分け与えることは、自分の飢えを承認することである。無償で善を行うことができる…

消えない懸念

前回の記事で論じたことは、個人を超えた人間関係のレベルにおいても当てはまるのではないか。 「わたしとあなたの関係においても、わたしの幸福という観点を除き去ることはできないのではないか。」 わたしが無理をしながら、ただあなたの幸福だけを望むと…

倫理と幸福

前回までで見知らぬ他者をめぐる考察がひと段落したので、ここで別の角度から問いを提起することにします。 「たとえわたしが倫理的に生きることを望むとしても、幸福の原理そのものを放棄することはできないのではないか。」 この不可能性はおそらく生きて…

開かれそれ自体を思考すること

前回までで取り上げたかったトピックはとりあえず一通り扱いましたが、終わりに次の点を確認しておくことにします。 「想像を超えて現実のうちに足を踏み入れた時に、本当の意味での倫理がはじまる。」 見知らぬ他者の苦しみについて想像することは、おそら…

脱中心化の線

私たちの探求は、倫理上の問題が存在の問いと重なる地点に至りました。 「倫理は、脱-現前の運動を人間に要求する。」 その場にいること、現れていること、そして、そのようなものとして知られていること。「見知らぬ他者がどこかで苦しんでいるのではないか…

現前に抗すること

考察を進めるために、ここでは近世の哲学者であるウィリアム・バークリーの命題を手がかりとして取り上げてみることにします。 「存在するとは、知覚されることである。 Esse est percipi.」 ウィリアム・バークリー この命題はバークリーのみならず、カン…

いなくなってしまった人たち

サバイバーズギルト、すなわち、生きつづけていることへの罪悪感に関連して取り上げておきたいトピックがあります。 「私たちは、いなくなってしまった人たちのことを忘れながら生きている。」 学校や職場、その他さまざまな社会空間のうちで、そのメンバー…