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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

哲学の原罪と心の原初

見たことがなく、いま見ていなくても

「原初の状態にまでさかのぼった心は、生きている神のもとに帰りつく。」これが、今回の探求の結論です。 最近あらためて痛感させられていることですが、僕は、この世界の中で生きてゆくのがどうしようもなく下手です。ここしばらくは、目の調子が相変わらず…

この世にいつも欠けているもの

心の原初にまでたどりついた哲学者は、ついに、みずからの欲望がいまや完全な無になったことに気づきます。それと同時に、神という他者のなかの他者が、かれの前に現れることになる。 かれは神のことを、いずれ顔と顔を合わせて目にすることになるでしょうが…

哲学の最終地点

「人間はこの世の鍛錬をとおして、みずからの心を原初の状態に立ちもどらせてゆく。」こうして私たちは、私たちの神話の結末にたどりつくことになります。哲学者の欲望という観点から、事態を眺めてみることにしましょう。 心のうちに原罪が入りこむことによ…

心の原初へ

これまで原罪の神話とでも呼ぶべきストーリーにしたがって進めてきた議論は、「思考」から「心」へとタームを移しても、そのまま成立します。 原罪が入りこむことによって、人間の心は、神の存在を受けいれることができなくなりました。こうして、心は根の深…

超越のほうが根源的である

ミュトス、すなわち神話によって真理を語るというのは、プラトンがとりわけ好んだ手法でした。現代においてこの方法を用いることの正当性についてはいずれまた論じることにして、今は、私たちが取りくんでいる神話の帰結を追ってみることにします。 さて、思…

内在から超越へ

もう少し前回の神話にしたがって、その帰結を追ってみることにします。 思考はもともと生きている神とつながっていましたが、原罪が思考のうちに入りこむことによって、神から分離されてしまいました。こうして、思考は自分自身のうちに閉じこめられることに…

神話の導入

神の存在を認めないことを哲学の原罪と呼ぶとするならば、ここから、哲学という営みそのものの目的が見えてきます。またしても結論から先に言うかたちになってしまいますが、今回のシリーズは、このスタイルでゆきたいと思います。 哲学の目的、それは、神の…

哲学の原罪

今日は、「哲学の原罪」という概念を提出したいと思います。結論から先に述べるかたちになってしまいますが、のちに少しずつ議論を補足してゆくことにします。 哲学的思考はその本性からいって、神の存在の可能性を消し去ってしまおうとする傾向を抱えていま…

生きている神

神との戦争状態という問題にさらに迫るためには、一挙にものごとの核心に近づいてしまった方がよいかもしれません。 神の問題について考えるためには、おそらく、この現代においてはほとんど忘れ去られてしまっている感覚をよみがえらせておく必要があります…

この戦いに勝ち目はない

「哲学は、つねに神との戦争状態に向かおうとする傾向をもっている。」神をも恐れないとは、なんとも罪深いという感じがしますが、まずは、最初に一点だけ確認しておくことにします。 それは、もしも神が本当に存在するとしたら、この戦争には万に一つも勝ち…

神との戦争状態について

青梗菜さんという方からのコメントのおかげでインスピレーションを得たので、少し議論を補足しておくことにします。 哲学という営みは通常の場合、神という存在のことを考えたがりません。それは哲学に、エゴイズムの傾向が深い意味においてはらまれているか…