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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

筆者の状況

ある女性漫画家の方が、次のように書いていたのを思い出します。「お金がないのは、首がないのと同じだもの。」なかなか強烈ですが、一度聞くとけっして忘れられないフレーズです。 お台場あたりの海が見えるタワーマンションに住めなくてもいい。表参道の内…

献金について

探求をはじめるにあたっては、たまには具体的なトピックから開始してみるのもよいかもしれません。僕が近ごろ少しだけ頭を悩ませているのは、ほかでもない献金の問題です。 僕が通っている教会では、ほかの数多くの教会と同じように、献金を捧げることは義務…

金よ、この世の苦しみよ

今日からは、恋愛についで、ひとの魂を悩ませるもう一つの大問題について考えておくことにしたいと思います。それは、お金をめぐる問題にほかなりません。 「おお、金よ……。」およそこの世に生きる人間たちの中で、この問題に苦しめられなかった人は、おそら…

恋愛についての考察のおわりに

前回までで、私たちは恋についての考察をひととおり終えました。筆者としては、この後の人生でもう恋に落ちることはないだろうと思っているので、とりあえず、恋というイデーについては、この人生ではこれくらいでいいかなという気がしています。 「生きるこ…

空虚を満たすのは

「完璧なあなた」をめぐる体験を通して若者の心のうちに空いた穴は、何をもってしても埋めることができそうにないほどに大きなものです。 たしかに、哲学や芸術、科学といった、永遠の真理にかかわる仕事、または、命をかけて追いもとめるに値する、他のさま…

かれは真剣だった

失恋の苦しみは、時に耐えられないと思われるほどに大きなものになりえます。しかし、この苦しみの体験が、信仰へのまたとない準備という側面をかんがみるとき、信仰者は、人生というものへの驚異の念にとらえられずにはいられません。 「完璧なあなた」、あ…

畏れなかったことの報い

失恋した若者が、世界も自己もともに崩れ去ってゆく全面的な破壊のプロセスをその身に引き受けざるをえないのは、かれの内にある「完璧なあなた」の理念が、あらゆる存在者を断罪せずにはいないからです。 この段階までくると、もはや事態はほぼ完全に脱性化…

荒野と世界崩壊

若者が「完璧なあなた」の理念に触れたのち、失恋の苦しみをこうむっている時点において、かれは気づかないうちに、すでに神の御手のうちに入りこんでいます。 もちろん、かれは自分の苦しみが、現実のうちにいるあの彼女を失ったことからくると考えているこ…

神はすでにかれをとらえた

「恋の体験は、恋される対象とはほとんど何の関係もない。」このことは、うまくいった恋愛なるものについて考えてみるならば、いっそう理解しやすくなります。 恋愛がうまくゆき、恋の相手と長い付き合いをはじめた場合にいわゆる「最初のときめき」が失われ…

理念的なものの次元

さて、恋の話題に戻りましょう。この体験における最大の逆説、それは、若者が憧れる「完璧なあなた」のイメージは、ある意味で、かれの愛しい彼女とはなんの関係もないということです。 かれは確かに、彼女のさまざまな細部をかぎりなく大切にしておこうとし…

Appedix : 永遠に女性的なるもの

ところで、実在の探求というテーマについては、今回の話題とも関連しますが、ひとつつけくわえておくべきことがあります。 恋する若者は叫びます。「真に実在するもの、それは〈彼女〉である!」この叫びがある意味で厄介なのは、ここには真実の一片が含まれ…

霊と肉

もしも、ひとを天上に向かわせるものを霊と呼び、地上に引きとめるものを肉と呼ぶならば、恋の体験においては、霊と肉とが分かちがたいしかたで混じりあっているといえます。 恋の体験における愛しい彼女は、その存在論的なステータスにかんして、二つの極を…

堕天使崇拝に抗する

悪魔なるものの由来を考えるならば、恋愛の秘密にもすぐに納得がゆきます。信仰の言葉によるならば、悪魔とは堕天使、つまり、天から追放された天使のなれの果てであるというのです。 恋する若者にとって、愛しい彼女は、堕天使とまったく同じ存在論的ステー…

完璧なあなた

失恋のさなかにある若者が、それこそ身を切り裂かんともいわんばかりの苦しみに悩まされつづけるのは、かれに「完璧なあなた」のイメージがいつまでもつきまとわずにはいないからです。 悪魔的な彼女自身は、あくまでも人間にすぎません。ルー・アンドレアス…

現実否認はつづく

悪魔的な彼女にとっては、告白する前の若者はよい獲物でしたが、告白した後にはたんなる食べかすくらいの存在にすぎません。 人道上、まことに許しがたいことですが、かれとしては、もうこの事実を認めてしまったほうがずっと楽になれることは間違いありませ…

勝負の終わり

この世においては、至福を長く味わうことは許されていません。恋の終わりは、若者にとってはあまりにも早く訪れることになります。 その理由は、恋したことのある人ならば誰でも知っているように、恋においては、「先に恋に落ちてしまった方が負け」というル…

内部性の恋

恋の話に戻りましょう。愛しい彼女にすべてを捧げた若者には、ほんの少しのあいだだけ、天国にもひとしい至福の時間を過ごすことが許されます。 この時期のことは後からふり返ると、まさしく夢のようにしか思われません。それというのも、恋とは、1%の至福…

失敗する運命だったのかもしれない

「ファム・ファタルではなく、賢者に憧れればよかったのに。」しかし、考えてみるならば、青春に向かって大手を切って進んで行く若者にこのことを期待するのは、いささか無理があるというものかもしれません。 どうも、私たちの人生は、自分で失敗してみなけ…

賢者に恋をすればよかったのに

もしも、若者がソクラテスのような人に恋をするならば、かれにはまだ救いの可能性が残されています。ソクラテスのような賢人は、若者を真理の探求へと駆り立てずにはおかないからです。 賢者は、かれに次のように言うことでしょう。「君は、わたしのうちに君…

悪夢よ、パロディーよ

若者がひとたび愛しい彼女にぞっこんになってしまうならば、もう、ほかの誰の言葉もかれの耳には響きません。 それというのも、かれの無意識の心は、彼女への偶像崇拝の熱情によって支配されているからです。黒い髪の悪魔は、すでにかれの主権を完全に掌握し…

「どう見ても、天使にしか見えない」

振り込め詐欺なる犯罪については、近年になって、いたるところでその危険が喧伝されることになりました。その一方で、ファム・ファタルによって行われる魂の搾取については、あまり取り上げられることがありません。 若い男性たちにとって、悪魔的な女性の存…

ファム・ファタルを警戒しよう

それにしても、偶像とか悪魔という言葉を不用意に用いてしまうと、当の女性たちにたいしてあまりに礼を失することになるのではないかという恐れがあります。 したがって、ここからはさらに対象を限定してゆくことにしましょう。すなわち、「今回の探求では、…

まずもって、祈りが必要である

近代という時代は「愛しい彼女」という偶像を崇拝するにいたってしまいましたが、この時代が決定的に終わりを迎えたことがいよいよ明らかになりつつある今、もしかすると、偶像のたそがれもそう遠くないのかもしれません。 しかしながら、およそ偶像崇拝なる…

モダンの偶像

恋する若者にとっては、ただ愛するあの人だけが、すべてのものごとをの鍵を握っているように感じられます。 かれの中で起こる世界消失のプロセスを、鬼気迫る臨場感とともに描いた作品としては、やはり、ゲーテの不朽の名作『若きウェルテルの悩み』を忘れる…

恋の体験

まず最初に、今回の探求の方針について、一点だけ確認しておくことにします。それは、「今回の探求では、うまくいった恋については取り扱わない」というものです。 わたしと彼女とが恋に落ちて、長い時間をかけて二人の関係を築いてゆくとします。わたしと彼…

「ここには、泥沼がある」 ー恋愛の問題圏へ

四月からこれまで、死、形而上学、倫理と、私たちは探求を行ってきました。引きつづき神の問いを追いもとめてゆくことにしますが、今回は少しトリッキーな角度から問題にアプローチしてみたいと思います。それは一言でいうと、恋愛の体験を考えることによっ…

倫理についての考察のおわりに

前回までで、私たちは倫理についての考察を終えました。全部で2カ月以上かかってしまいましたが、読んでくださった方は本当にありがとうございました。 気がつけば九月になり、助手のピノコくんもフランスに旅立ってしまいました。僕自身もこの八月で大学を…

義なる神

内在的超越と絶対的超越という区別は、倫理の領域のみならず、超越の次元に足を踏み入れる哲学にとっては、あらゆる分野において重要なものであるように思われます。 こうして、私たちは神による掟というイデーについて、一通りの検討を加えました。倫理法則…

内在的超越と絶対的超越

良心の呼び声という現象には、身近なものでありながらも、どこかこの世を離れているようなところがあります。 そのため、この現象が哲学的分析の対象となることは、あるにしても稀だったと言ってよいでしょう。この点については、プラトンがこの現象にたいし…

良心の呼び声について

「無意識の心の底からの神による呼びかけが、倫理的なものの根源をなしているのではないか。」神による掟というイデーはこうして、倫理的なものの受動的総合というモメントに私たちを導くことになります。 確かに、これが法外な想定であることは間違いありま…

倫理的なものの受動的総合

「呪いはわたしの内にある。」わたしがわたしの自己性の執拗さを認め、自らのうちで働く悪魔的なエゴイズムの根絶不可能性に打ちのめされる時こそ、神による掟という次元が倫理的なものとして立ち現れる瞬間です。 神はいまや、次のようにわたしに言います。…

悪はわたしの内にある

悪魔的なエゴイストのアポリアはある意味で、倫理的なものをめぐる思考につきまとう呪いのようなものです。このアポリアは、すべての根拠を破壊しつくそうと、いつでも私たちを待ち構えているからです。 ここで注意しておきたいことが一つあります。それは、…

カントとレヴィナスへの疑問

先に論じた倫理法則の絶対性というモメントは、いまや神による掟の持つ絶対性として捉え直されることになります。そして、この法則がすべての人間に課されるのは、掟の絶対性のうちに根拠を持つということになる。 普遍性が絶対性によって基礎づけられるとい…

絶対性と普遍性

前回に論じたポイントは重要なので、もう少し掘りさげて考えてみることにしましょう。 倫理のための倫理というイデーにしたがうかぎり、倫理への呼びかけは、次のようなものにならざるをえません。「さあ、みなで普遍的な倫理法則を守ろう。よい世界に向けて…

応答としての倫理

ところで、倫理法則を神からの掟として捉えるときには、倫理の次元そのものが持つ意味も大きく変わってきます。 倫理のための倫理というイデーにおいては、倫理は人間の自発的な意志によって打ち立てられるものでした。これは、カントが意志の自律と呼んでい…

水平軸から垂直軸へ

第三のアプローチは、倫理の根源には神からの命令があるのではないかと考えます。これから、このイデーにしたがって、少し考えてみることにしましょう。 神が、人間たちに向かって掟を与えます。「あなたは、殺してはならない。姦淫してはならない。盗んでは…

第三のアプローチ:神による掟

第三のアプローチは、それまでの二つのアプローチとは違い、人間を超えたところから倫理法則の根源に迫ろうとします。すなわち、この論によれば、人間が法則を守らなければならないのは、それが神による掟だからだというのです。 「なぜ突然に、そんな話にな…

悪と反世界

倫理的な観点からみて「あってはならない時空」のことを反世界と呼ぶことにすると、倫理と悪をめぐる問題の見通しが立ってきます。 悪(他人に害を与えること)は、反世界を世界のうちに生みだします。アウシュヴィッツのようなケースにおいては、この事態が…

アウシュヴィッツから考える

ところで、僕が本格的に絶対悪という問題について考えはじめることになったきっかけは、今年の四月に行った、アウシュヴィッツへの旅行でした。 アウシュヴィッツでユダヤ人たちがこうむった悲惨と痛みについては、また別の機会に考えることにしたいと思いま…

絶対悪の問題

善なるものそのものへの憎しみは、一般に、ふだん表面にあらわれてくることはありませんが、ふとした時に、あるいは、時代が悪いものになってきたときに浮かびあがってきて、人間を引きさらってゆくことがあります。 倫理法則を破るという場合には、少なくと…

善なるものへの憎しみ

よりよい世界、もはや誰も傷つくことのない世界に向かって倫理を引き受ける意志の由を持つことのうちには、人間なるもののの偉大さが示されています。ところが、倫理にとって最も大きな危険が現れてくるのも、おそらくはこのときに他なりません。 倫理のため…

人間の尊厳について

誰も他の人間を傷つけることのない世界をめざして、努力しつづけること。わたしが倫理の原則に従属するということは、そのまま、人類全体に向かっての呼びかけを行うことになります。 ただし、人間には誰ひとりとして、他の人間が倫理法則に従うようにさせる…

理性は世界国家を夢みる

すべての人が自発的に倫理法則にしたがって生きる、目的の国。この国こそが、倫理のための倫理というイデーがたどりつく終着点です。 おそらく、この国は本質的にいって、世界国家であるほかありません。人類のすべてをメンバーとして組み入れる普遍的な共同…

目的の国への呼びかけ

わたし自身が自らの意志にしたがって、倫理法則に従属する。カントはこのことを、意志の自律と呼んでいました。 倫理のための倫理というイデーを追いもとめつづけていた私たちの探求は、ここにいたって、『実践理性批判』におけるカントの探求と大きく重なり…

存在論的なへり下りについて

わたしが、無意識のうちに自分のことを人間以上のものとみなしてしまう危険をつねに抱えていること。また、わたしが、自分でも気づかないところで、わたし以外の人のことを傷つけている可能性がつねに存在しているということ。 わたしというものの存在論的な…

わたしの本当の姿は……。

「革命家は、この世で一種の超人としてふるまうことを望んでいる。」超人と言ってしまうと、映画やマンガの世界にしか関わりを持たないようにも見えますが、この欲望が私たち自身の無意識のうちに潜在していることには注意しておいたほうがよいかもしれませ…

超人への欲望

ラ・マルセイエーズは、革命のために流される血への賛歌です。「殺してでも世界を変える」という革命家の決意は、はたして正当化されうるものなのでしょうか。 私たち人間には完全に正しい裁定を下すことができないのは、言うまでもありません。「フランス革…

おお、ロベス・ピエール

「倫理法則は、わたしが自分自身の特権性を放棄して、自分のことをたんなる人間の一人として扱うことを要求する。」このことの哲学的な帰結は、きわめて重要なものをはらんでいるように思われます。 このイデーにしたがうなら、倫理なるものは、わたしと他者…

倫理はへり下りを要求する

私たちは、絶対性、普遍性、完全性という倫理法則の性質の三位一体を探っている途中で、完全な愛というイデーに出会いました。 このイデーはとても興味深いものですが、今の目的は倫理の根拠を問うことなので、とりあえず倫理の原則のほうに立ち戻ることにし…

完全な愛

倫理法則について、絶対性と普遍性についで三つ目に論じておきたいのは、完全性という性質です。 後ほど詳しく論じたいと思いますが、「あなたは、悪を行ってはならない」という原則のうちには、愛の次元が働いているように思われます。 「あなたは何があっ…