イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

哲学

見知らぬ隣人

ところで、他者をめぐる問題には、わたしとあなたという二者関係を越え出ずにはいない側面があるといえるのではないか。 「世界には、わたしの知らないところで苦しんでいる人々が無数に存在する。」 わたしとあなたということであれば、対話することが、互…

隔たりと思いこみ

そろそろ、無意味からの出口としての他者という当初の主題に立ち返ることにします。 「わたしはある意味で、あなたには永遠に到達することができない。」 他者であるあなたは、わたしの意識を超えています。したがって、わたしには、わたしの意識に映るあな…

耳をすますことについて

「哲学の務めのひとつは、人間に立ち止まることを教えることにあるのではないか。」 存在するという語についていえば、この語のうちにはらまれている底知れない深みのうちに分け入ってゆくためには、日常のあわただしい流れから身を引き離してみる必要がある…

存在という語は

「哲学者の生とは、ある面から見れば、存在という語への態度の変化のプロセスであるといえるのではないか。」 人生のうちで死と別れの経験をくり返すうちに、哲学者の心の中では、ある問いかけが重ねられてゆくことになります。 かつて「ある」と思っていた…

永遠と選択の問題

話題が愛の関係に及んだので、この機会に次の点について考えておくことにします。 「私たちの生は、別れの連続にほかならない。」 わたしと彼とは、一体どこですれ違ってしまったのだろう。互いに友でありつづけることなど当たり前だと思っていたのに、気が…

エウリュディケーは、最初から……。

傷と痛みについて考えつづけていると、ひとは次のようなイデーに捉えられずにはいないのではないかと思われます。 「わたしの生は、根源的に、わたし自身の自由になるものではない。」 わたしの生の方向を決定づけることが大きいのは、喜びよりもはるかに痛…

わたしを開くものは

無意味からの出口としてのあなたの存在を知るとき、わたしは、それまで気づくことのなかった事実にあらためて気づくことになります。 「世界には、わたしの他にも苦しんでいる人々が無数にいる。」 おそらく、人間は、自分自身が何らかの形で苦しんだことが…

他者の発見

「無意味からの出口は、わたしの意識を超える他者である、あなたのうちにあるのではないか。」 わたしが死にたいというほど苦しんでいる時、救いの唯一の可能性は、その痛みをあなたに投げかけることにうちにあるのではないだろうか。 あなたは、わたしの意…

問いのうちにとどまること

「もしも存在することそれ自体が悪でしかありえないとしたら、それならば、わたしはなぜ生まれてきたのか。」 生きることのみじめさをめぐる問いかけは、どこかの時点で必ずこの地点にたどりつくことになるのではないか。 「人間にとって最もよいのは、生ま…

生きながらにして死んでいる

外傷とその否認をめぐる考察から言えそうなのは、つまるところ、人間にとって最も重要な問いとは、次のような疑問なのではないかということです。 「存在するべきか、否か? To be or not to be?」 わたしは、生まれてくるべきではなかったのではないか。こ…

スクリーンは否認のために……。

1.唯一的な主体としてのわたしへの、わたし自身の存在の贈与あるいは外傷。(現実的なモメント) 2.コギト、すなわち思考する主体としてのわたしの思考。(想像的なモメント) もう少し詳しく、この二つのモメントの関係について考えてみることにします。 …

フィクションの危険性

1.唯一的な主体としてのわたしへの、わたし自身の存在の贈与あるいは外傷。(現実的なモメント) 2.コギト、すなわち思考する主体としてのわたしの思考。(想像的なモメント) 2は、1にもとづくことにおいてのみ可能になります。そして、2は1のモメントに…

外傷と事後性

「存在するという運命は、それを望むにせよ望まないにせよ、唯一的な主体であるわたしに課せられている。」 わたしが、この世にこの人間として生まれてきたこと。そして、わたしが今ここにこの人間として、存在していること。 このことは、わたしの自由には…

わたしがこの世に生まれ落ちたとき

「人間の自由は、おのれ自身にたいして贈られる運命を受け取ることのうちにこそあるといえるのではないか。」 人生を自己実現という観点のみから見ると、わたしの生は、わたしがわたし自身の望むことを現実化してゆくことに尽きるようにもみえます。けれども…

世界の贈与

「世界は唯一的な主体であるわたしに対して、ただ一つ贈与される。」 わたしと同じように、わたしが生きることになるわたしの世界もまた、唯一的であるという特徴を持っています。 わたしは、誕生のときに与えられたわたしの特異性に応じて、わたし自身の世…

窓を眺める子供は

もう一度、ニヒリズムのほうに話を戻すことにします。 「ニヒリズムの根底には、わたしにとって他者が存在しなくなっているという事情があるのではないか。」 この世界には意味がないと、わたしは感じている。しかしそれは、実はわたしがわたし自身の観点か…

Appendix:別の深刻な問題

「ニヒリズムの問題は深刻ではあるが、最も深刻であるとは限らない。」 前回すでに論じたように、おそらくニヒリズムの問題は、社会-経済的な条件が整った、物のあふれる「豊かな世界」において本格的に発生します。その意味では、この問題は「特権的に恵ま…

物があふれているからこそ……。

「ニヒリズムが蔓延しているということは、人間が他者と取り結ぶ関係が変化しつつあることの兆候でもあるのではないか。」 今日の人間は確かに、他者たちとともに生きてゆくことに倦み疲れています。けれども、このことは逆に、他者への渇望がかつてよりも深…

ニヒリズムは派生的である

「望むにせよ望まないにせよ、わたしには、あなたとの関係を求めるのをやめることができない。」 関係の具体的な状況はさまざまであるとはいえ、これが人間の生を根底から条件づける渇望であるように思われます。 わたしは確かに、あなたと呼べるような他者…

渇望、それでもなお

「本当の意味での他者たちとの関係は、関係の不可能性に直面するところからはじまるのではないか。」 お互いに、自分が見たい面だけを相手のうちに認めつづけていること。そして、他者がわたしとは違う仕方で考えているということに、私が耐えることができな…

他者のいない世界

人と人との関係については、生きるうえで次のことを改めて受け入れておいた方がよいのではないか。 「人に関わらないことも、人と関わりつづけることも、人間に苦しみをもたらさずにはおかない。」 人間と深く関わるということは、おそらくは誰にとっても、…

関係をめぐる残酷な事実

生きることの意味は本質的にいって他者との関係のうちにこそあるのではないかと思われますが、その一方で、次のような事情を忘れることはできません。 「わたしとあなたとの関係は、どこかで終わってしまうことがありうる。」 かつてはあれほど多くのことを…

別の開け

視点を変えて、別の角度からも事態を眺めてみることにします。 「わたしという主体は唯一的ではあるが、それにも関わらず、ただひとりで孤絶して生きてゆくのではない。」 おのれに固有の存在可能性を選びとることは、あくまでも唯一的であるこのわたしに委…

現実の唯一性

物質的な面においてはともかく、精神的な面からいえば現代がある種の「乏しい時代」であることは間違いなさそうに思われますが、そのことに不平ばかり並べているわけにはゆかないのは確かです。 「唯一的な主体であるわたしは、みずからに固有な存在可能性を…

この時代について思うこと

この時代とニヒリズムの問題について考えるために、まずは次の点を確認しておくことにします。 「認識と判断のすべては、唯一的な主体であるわたしに委ねられている。」 わたしの持つこの自由は、解放と同時に孤独をも意味しています。わたしは誰にも束縛さ…

哲学とは別種の「知恵」

ニヒリズムについては、次の二つの捉え方があるといえるのではないか。 1.ニヒリズムは、特定の人間が世界に対して取る態度である。 2.ニヒリズムは、人間の世界のあらゆる側面にひそかに浸透している。 すでに論じたように、筆者は、ニヒリズムという概念…

死とニヒリズム

重苦しい話題ではありますが、まずは次の点から考察をはじめてみることにします。 「死は、明示的ではない仕方でではあるが、人間の行うあらゆる営みに暗い影を投げかけつづけているのではないか。」 ふだんから死のことを語る人というのはそれほど多くあり…

最後の棘

イデア性と受肉性の関係についての考察からは、次のような実践的帰結が導かれるように思われます。 「生の根本問題は、死ぬまでに何をなすべきかということのうちにある。」 人間は、人生のうちでさまざまに夢想します。とくに、哲学徒ともなると、それこそ…

イデア性と受肉性

ある存在者、または出来事については、次の二つの側面に注目することができます。 1.イデア性 2.受肉性 1は、そのものの「何デアルカ」を示す、理念的なアスペクトです。これに対して、2は、その理念がまさにこの世界にリアルなものとして実現されるさいの…

他者の身代わり

もう少し、信仰の言葉に耳を傾けておくことにします。 「受肉したロゴスであるキリストは、人間に、主体性の究極のあり方を示した。」 信仰の言葉によれば、神がキリストとなってこの世に降ってきた目的はさまざまにあるけれども、その一つは、人類の教師と…