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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

思想と社会

働くことはすばらしい   ー「日本ホワイト化プロジェクト」立ち上げのおわりに

カフェでの会話のなかでいちばん印象に残ったのは、Nさんの次のような言葉でした。 「とてもきついけれども、今の仕事にはとても大きいやりがいを感じています。耐震関係の仕事は、ずっと自分でやってみたいと思っていたものだったから。これから資格も取っ…

2015年の私たちが立っている地点   ー対話のエートスと、この国の新たなモデル

私たちは前回、日本のホワイト化を進めてゆくために、言論が進んでゆきうる二つの方向性を検討してみました。グローバリゼーション、正規雇用と非正規雇用、働くことについての世代間の認識の違いなど、日本人が働く環境については、考えなければならないフ…

「日本ホワイト化」の二本の柱   ー働くことの未来形にむけて

「もっとゆったりと仕事をしたい!」自由な言論の活動によって、日本のホワイト化は進んでゆくはずです。それでは、具体的に言って、このプロセスをどのように進めてゆけるのでしょうか?今回の記事では、二つの方向性を考えてみることにします。 ① 「私たち…

自由な言論が、日本のホワイト化を進める!   ーゆったりと働ける国をめざして

前回の記事で見たように、私たち日本人が働きすぎてしまう最も大きな理由の一つは、「とにかく、死にものぐるいで働かなければならない!」という空気がこの国のいたるところに存在しているからであるように思います。空気というものはなかなか数量的なデー…

「私たちは、働きすぎている」   ーこの国の「空気」について考える

虎の門ヒルズの中にあるカフェで、まりおさんとNさんと僕の三人は、数時間をかけて日本人の働く環境について話し合いました。議論の取っかかりとなる出発点については、三人とも、ほとんど異論なしに合意しました。それは、「私たち日本人は、働きすぎている…

日本ホワイト化プロジェクト@虎の門ヒルズ

インターネット上で知り合った方と実際にはじめて会うというのは、とてもドキドキする体験です。10月のある土曜日の午後、僕は都心のまんなか、虎ノ門ヒルズの入口で、ある人と待ち合わせをしていました。 こちらが電話をかけてからほどなく、一人の男性が…

言論のユートピア   ーデモクラシーと自由についての考察のおわりに

私たちはすでに、中江兆民の代表作である『三酔人経綸問答』の展開をおわりまで追ってみました。シリーズの締めくくりとなる今回の記事では、このたびの探求の主題だったデモクラシーなるものについて、とりあえずの結論を出してみることにしましょう。 『三…

ごまかさなかった南海先生   ー『三酔人経綸問答』の結論

『三酔人経綸問答』の展開も、いよいよ終わりの部分にさしかかりました。洋学紳士君と豪傑君の演説についてはすでに見たので、今回の記事では、街なかに住む賢者である南海先生の言葉に耳を傾けてみることにしましょう。 まず、南海先生は、二人の演説の内容…

豪傑君の恐すぎる演説   ー『三酔人経綸問答』の闇

『三酔人経綸問答』において、人類の理想を語る洋学紳士君に引きつづいて演説の二番手を務めるのは、豪傑君です。彼のロジックは、洋学紳士君に勝るとも劣らない極論に到達することになります……。これから、彼の言うところに耳を傾けてみましょう。 まず、豪…

洋学紳士君、9条の思想を語る?   ー理性がめざす絶対平和

洋学紳士君にしたがって理性的に考えてみるなら、すべての人間は平等であり、生まれながらにして自由に生きる権利を与えられているといえます。彼は、人類の歴史はこの真理を社会制度のうえで実現する方向に向かってゆくはずだと主張します。ここでは詳しく…

自由のスピリット!   ー洋学紳士君、大いに語る

南海先生、洋学紳士君、豪傑君の三人によって、ざっくばらんな政治談義が交わされる『三酔人経綸問答』ですが、一番手として演説を繰りひろげるのは、理性の申し子とでもいうべき洋学紳士君です。今回の記事では、彼のいうところに耳を傾けてみることにしま…

東洋のルソーからデモクラシーを学ぶ   ー『三酔人経綸問答』の世界へ

この国におけるデモクラシーについて考えるためには、ヨーロッパの思想家たちに目を向けるだけではなく、この国の先人たちから多くを学ぶことも必要です。これから、中江兆民の代表作、『三酔人経綸問答』の世界へ入ってゆきたいと思います。この本について…

安保法案から中江兆民へ   ーデモクラシーについて、はじめから考えてみる

安保法案をめぐる国会での騒動から、一週間以上がたちました。今回の件については、すでにさまざまなことが言われていますが、このブログでも少し考えてみることにしたいと思います。 すこし残念なことに、集団的自衛権をめぐるこの問題については、この国の…

たまには、自分だけの場所を踏みこえたところで   ー言論の未来についての考察のおわりに

ゆっくりと進んでいる変化であるために、しばしば見落としてしまいがちですが、この国のマルチチュードはこの数十年のあいだに、とても大きな変化を遂げつつあります。確かに、これからのちの日本は、多くの問題に向きあってゆかなければならないことでしょ…

マルチチュードの共生モード   ー私生活が、パブリックなものに接続する瞬間

私たち一人一人のことをマルチチュードと呼んでみることにすると、私たち自身のうちに宿っている多様性の側面がきわだってきます。時代が進むにつれて増大しつづけているこの多様性を、パブリックな言論の力にうまく変えてゆくプランを描くことができるなら…

言論のマルチチュードへ!   ーこれからのデモクラシーを考えるために

私たちは、言論の世界の未来を探しもとめて、ブログ文化、ジャーナリズムの世界における変化、そして、ゲンロンカフェの試みについて見てきました。これらのケースすべては、ある共通した方向を指し示しているように思われます。今回のシリーズをまとめるに…

私たちの時代のアゴラ   ー1月17日のゲンロンカフェで起こっていたこと

1月17日にゲンロンカフェで行われたイベント『現代思想の使命』の内容について、ここで多くを語るのは控えておくことにします。その頃、世を騒がせていたシャルリ・エブド事件についてのコメントにはじまって、ニヒルな社会派作家であるミシェル・ウェルベッ…

ニュー・アカデミズムからゲンロンカフェへ   ーこの国の言論の歴史をたどる

前回の記事では、東浩紀さんが経営するゲンロンカフェについて、その概要を紹介しました。経営者である東浩紀さんは、集英社発刊の文芸誌『すばる』2015年2月号において、ゲンロンカフェの試みについて、次のように発言しています。 「人文知に魅力を感じる…

ゲンロンカフェと思想の現場

私たちは「サペーレ・アウデ!」のリフレインを追うようにして、ブログ文化、ジャーナリズムの世界と見てきましたが、今日の記事では、現在の思想界で活躍している東浩紀さんの活動について論じてみたいと思います。 東浩紀さんをご存知でしょうか?東さんは…

ソクラテス的なライフスタイルへ   ーNewsPicksから見えてくる心性の変化

NewsPicksについて、言論の未来を考えるうえで重要だと思える特質をもう一つここで挙げるとするならば、このアプリを利用することで、ユーザーが対話や議論にたいして自然と開かれるようになってゆくという点です。 ある記事にたいして、自分でコメントをつ…

NewsPicksから見えてくる、ジャーナリズムの近未来

前回の記事ではブログ文化について論じてみましたが、次はジャーナリズムの世界に目を移してみることにしましょう。私たちはこの領域においても、「サペーレ・アウデ!」の声が響きわたっているのを聞くことになります。 突然ですが、これまでにニュースアプ…

「人間性にたいする犯罪」?   ー啓蒙とブログ文化のつながりを考える

自らの理性を用いて考えること、そして、自分が考えたことをすべての人びとに向けて発表すること。イマヌエル・カントが『啓蒙とは何か』において「理性の公的な使用」と呼んだ行為は、インターネットの出現によって、今や誰にでも実行可能なものになりまし…

サペーレ・アウデ!   ーカント『啓蒙とは何か』からのスタート

言論の世界についてこれから考えてゆくうえで、まずは進んでゆくべき方向をしっかりと見据えておくことにしましょう。今日の記事では、ドイツの哲学者であるイマヌエル・カントが1784年に発表した、『啓蒙とは何か』から出発して論じてみたいと思います。200…

2015年9月、いま、言論の状況は?

気がつくと、9月ももう7日です。集団的自衛権の行使をめぐる案件が、いよいよ大詰めに入ろうとしています。インターネット上でもさまざまな意見が交わされていますが、このブログにおいても、これから数回をかけて、今のこの国の状況について考えてみるこ…

9条についての考察のおわりに

70年前の今日、私たちの国は、長くつづいていた戦争を終えました。この戦争は、満州事変が起こったときからの年数を数えて、15年戦争と呼ばれることもあります。けれども、そもそもこの戦争が起こった原因をさかのぼってみるならば、問題にしなければならな…

日常が消えてゆく

②心のなかで、戦争を完全に放棄する 地球軍の創設というプランは、今のところはまだ現実味がないことを認めざるをえませんが、いずれこの世界において実現しうる可能性であると僕は考えています。数多くの挫折と失敗や、果てしない思考の鍛錬、厳しい現実と…

地球軍の創設   ーグローバル安全保障システムの究極のかたち

戦力を放棄することをうたう日本国憲法第9条は、未来の世界の秩序のあり方を先がけて示しているのではないか。そのように言ってみるさいには、主に二つの可能性があるように思います。率直に言って、これらの道は、両方とも実現するまでにははるかに遠い道…

戦争はいずれ地上から消えてなくなる?   ー未来の人間と平和的生存権

憲法学のなかでは、日本国憲法第9条は人間がもつ新しい権利にかかわっているという議論がなされることがあります。そこでは、次のような主張がしばしばなされます。「平和的生存権と呼ばれるこの権利は、20世紀前半にその萌芽が芽生え、9条によってついに…

ムスカではなくナウシカに   ー9条が私たちに求めていること

気がつくと、9条について論じはじめてから、もう三週間以上もたってしまいました。最初から読んでくださっている方にはとても大きな負担をおかけすることになってしまい、申し訳ありません。終戦の日までには完結しますので、もしよろしければ、あともう少…

この小さな国の平和を守りつづけるために   ー9条についての、とりあえずの結論

前回の記事では、「軍事路線の大国から独自路線の小国へ」というフレーズを立てました。僕は、「大国ではなく小国路線へ」という標語については、9条についてどう考えるにせよ、この国で生きる人たちから少なくない共感を得られるのではないかと思っていま…

軍事路線の大国ではなく、独自路線の小国へ   ーこの国の未来を考える

最初に、9条を弁護してゆくうえで、象徴的な人物をひとり取りあげてみることにします。吉田茂は、戦後のこの国の形を作りあげていったという意味において、私たちにとってきわめて大きな存在でした。9条にたいする吉田の態度は、大枠からいえば、どうやら…

避けるべき未来について   ー9条を弁護する

9条の弁護は、Bグループの人たち、すなわち、「平和を愛していて理性を優先する人たち」に対して行われるというのが、前回の記事でたどりついた地点でした。今回の記事では、さらにこの弁護をつづけてみたいと思います。これまでに書いてきたこととも少し重…

Aグループ?Bグループ?それとも……?   ー9条の弁護を開始する

「私たち日本国民は、いっさいの戦力を放棄する。」今回のシリーズもここに至って、ようやく9条の側に立って語るときがやってきました。色々な変遷を経て、僕は、「この国はこれからも9条を守っていったほうがよいのではないか」という考えを持つようにな…

もし大阪が消滅するならば、アメリカは?   ー東アジア情勢の、むき出しのリアル

引きつづき、例の本におけるアーミテージ氏とナイ氏の言葉をたどってみることにしましょう。ちなみに、この二人とも日本国憲法第9条については、2010年の時点においても「改正するのではなく、解釈を変更することによって集団的自衛権の行使を可能にするの…

ナイ氏が提示する三つの選択肢と、アーミテージ氏が語る核兵器の使用

アーミテージ・レポートについて一通りのことを確認したので、今回からの記事では、このレポート作成にかかわったリチャード・アーミテージ氏とジョセフ・ナイ氏による、2010年当時の発言を取りあげてみることにしましょう。興味のおありになる方は、『日米…

アーミテージ・レポートから核戦略へ (付・憲法第9条とニュータイプ)

核兵器の使用について徹底的な研究を行ったハーマン・カーン博士は、『考えられないことを考える』の最終部において、次のように言っています。「われわれは、現在持っている”道具”と能力を、精いっぱい活用しなければならない。」 引用のなかの”道具”とは何…

ハーマン・カーンの悪夢の世界

『博士の異常な愛情』という映画をごぞんじでしょうか。1964年に公開されたこの映画は、鬼才・スタンリー・キューブリック監督の代表作であるとの呼び声も高い作品です。まだ観たことがないという方がいらっしゃいましたら、もしよろしければ、予告編のほう…

核戦略問題へのイントロダクション   ー9条のディープ・フェーズへ

今回の話題に入ってゆくにあたって、ひとつのエピソードを紹介させてください。 1972年5月3日、竹本忠雄という日本人が、パリからそれほど遠くない、ヴィルモラン家所有のヴェリエールの館を訪れました。ヴィルモラン家といえば、ほぼ200年ちかくにわたって…

それにしても、この呼びかけはどこから

3 アノマリーの特異性を解放する ー??? しかし、第三の道もあるように思います。9条はこれまで長い時間をかけて、みずからの特異性を解放するモメントを、時を追うごとに少しずつ失いつづけてきました。けれども、ここで、次のような問いを立ててみるこ…

いま起こっていることと、これからの選択肢   ー9条の将来について考える

絶対平和を要求する憲法9条は、国家理性の側からするならば、ほとんど理解不可能なアノマリーとして存在している。言うまでもなく、国家理性はみずからの生き残りに深くかかわってくる軍事の領域を、けっして無視することができません。その領域の中にこの…

国家理性と、絶対平和のアノマリー

国家理性という語は私たちのうちの多くの人にはなじみの薄いものかもしれませんが、それにたいして、国益という言葉のほうは広く用いられています。実は、この言葉はもともと、ヨーロッパの言語において、国家理性という語と同一のものでした。他のどんなフ…

マキャヴェリズムから国家理性へ   ー私たちの国家の系譜をたどる

私たちはまず、9条の条文を簡潔に眺めてみたあとで、その文言の解釈がたどってきた歴史と、これまでの自衛隊の活動の歴史の流れを検討してみました。そこから見えてきたのは、9条のなかにもともと宿っていたイデーが、ほとんどその当初から現実にたいする…

自衛隊のこれからについて考える

グローバル安全保障システムは、世界各国の軍隊の働きによって保たれています。ところが、このシステムのうちに、軍隊ではない軍隊としての自衛隊が加わってゆくときには、9条との関連において、必ずどこかでさまざまな歪みが生じてこざるをえません。私た…

9条と現実がぶつかり合う瞬間   ーカンボジアPKOのケース

1990年代からの自衛隊は、「グローバル安全保障システム」とでも呼びうるような秩序のうちに加わってゆくことになりましたが、ここには、ある原理的な困難がつきまとっていました。それは、武力行使を行うことができない自衛隊員たちには、このシステムの働…

世界史のなかの自衛隊

私たちは前回、9条との関係において自衛隊がどう解釈されてきたのかを見ました。「自衛隊は戦力ではなく、わが国の実力なのである。」それでは、この「実力」はこれまで、一体どのような歴史をたどってきたのでしょうか。ここでは、自由民主党の石破茂氏が…

実際のところ、どう解釈されてきたのか?   ー9条と自衛隊

「憲法からは外れているみたいだけれど、自衛隊って、とりあえずできちゃったんでしょう」。私たちはみなそのことについて、多かれ少なかれ知っています。それでは、私たちの国の政府はこの自衛隊なるものを、日本国憲法第9条2項との関係において、いった…

ワンフレーズで憲法を変える   ー9条2項と芦田修正

1946年の3月には、国民たちはすでに日本国憲法の大まかなプランを知らされており、新しい憲法にむけての期待を高めていました。そののち正式に提出された憲法案は、明治憲法のもとでの選挙によって選ばれた議員たちによる衆議院の審議において、検討される…

戦力をまったく持たないはずの国   ー9条の条文を読んでみる

まずは、9条の条文を見てみることにしましょう。この条文は、二項に分かれています。 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを…

憲法第9条へのイントロダクション

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国…

死者たちのことを悼みながら、決意した人びと   ー憲法についての考察のおわりに

これまでのシリーズのなかでは、日本国憲法の今のすがたと未来のすがたに、焦点を当ててきました。けれども、憲法の問題を考えるさいには、本当は何よりもまず、過去にこそ目を向けなければならないところでした。遅くなってしまいましたが、最後にその点に…