イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

本について

絶対的他者としての猫   ージャック・デリダについて、いったん論じ終える

ジャック・デリダと猫について論じるのも、今回が最後です。まさか、こんなに長くデリダの裸について語りつづけることになるとは思いませんでした。最終回となる今回では、人間の裸を見つめる猫のほうに焦点を当ててみることにしましょう。デリダは猫につい…

森の平和か、文明の悲惨か?   ージャック・デリダと、人間性の神秘的次元

「動物は、裸であるがゆえに裸ではない。」その表現の意味とは、動物は、みずからが裸であることを知らないということでした。それでは、自分が裸であることを知っている人間のほうでは、事態はどうなっているのでしょうか?ジャック・デリダの言葉を追って…

人間が裸で生活する世界?   ー動物的な生について考える

引きつづき、浴室で裸を猫に見られたエピソードについてのデリダの思考を追ってみることにしましょう。デリダは裸の姿を見られることの恥ずかしさについて、次のように言います。 「何が恥ずかしいのか、そして誰の前で恥ずかしいのか?獣のように裸なのが恥…

猫と裸のジャック・デリダ   ー『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』を読む

猫について考えるきっかけとして、レヴィ=ストロースにつづいて、もう一人のフランス人に登場してもらうことにしましょう。近年惜しくも亡くなった、哲学者のジャック・デリダの講演集『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(鵜飼哲訳、筑摩書房、2014…

歩みを止めて、ただ見つめあうことのうちに   ーレヴィ=ストロース、今度こそ猫について語る

レヴィ=ストロースの語る猫について論じるはずが、前回はそこまでたどり着けませんでした。猫は、『悲しき熱帯』のいちばん最後の文に出てきます。今回こそ、ニャンニャンちゃんのもとにまで到着しつつ、この本について論じ終えたいと思います。 「世界は人…

レヴィ=ストロース、猫について語る   ー『悲しき熱帯』と仏教の真理

二回にわたって猫についての記事を書いたので、せっかくですし、もう少しニャンニャンワールドを探索してみることにしたいと思います。今回の記事で取り扱いたいのは、20世紀のフランスを代表する人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の…

言論のユートピア   ーデモクラシーと自由についての考察のおわりに

私たちはすでに、中江兆民の代表作である『三酔人経綸問答』の展開をおわりまで追ってみました。シリーズの締めくくりとなる今回の記事では、このたびの探求の主題だったデモクラシーなるものについて、とりあえずの結論を出してみることにしましょう。 『三…

ごまかさなかった南海先生   ー『三酔人経綸問答』の結論

『三酔人経綸問答』の展開も、いよいよ終わりの部分にさしかかりました。洋学紳士君と豪傑君の演説についてはすでに見たので、今回の記事では、街なかに住む賢者である南海先生の言葉に耳を傾けてみることにしましょう。 まず、南海先生は、二人の演説の内容…

豪傑君の恐すぎる演説   ー『三酔人経綸問答』の闇

『三酔人経綸問答』において、人類の理想を語る洋学紳士君に引きつづいて演説の二番手を務めるのは、豪傑君です。彼のロジックは、洋学紳士君に勝るとも劣らない極論に到達することになります……。これから、彼の言うところに耳を傾けてみましょう。 まず、豪…

洋学紳士君、9条の思想を語る?   ー理性がめざす絶対平和

洋学紳士君にしたがって理性的に考えてみるなら、すべての人間は平等であり、生まれながらにして自由に生きる権利を与えられているといえます。彼は、人類の歴史はこの真理を社会制度のうえで実現する方向に向かってゆくはずだと主張します。ここでは詳しく…

自由のスピリット!   ー洋学紳士君、大いに語る

南海先生、洋学紳士君、豪傑君の三人によって、ざっくばらんな政治談義が交わされる『三酔人経綸問答』ですが、一番手として演説を繰りひろげるのは、理性の申し子とでもいうべき洋学紳士君です。今回の記事では、彼のいうところに耳を傾けてみることにしま…

東洋のルソーからデモクラシーを学ぶ   ー『三酔人経綸問答』の世界へ

この国におけるデモクラシーについて考えるためには、ヨーロッパの思想家たちに目を向けるだけではなく、この国の先人たちから多くを学ぶことも必要です。これから、中江兆民の代表作、『三酔人経綸問答』の世界へ入ってゆきたいと思います。この本について…

魂を浄化する旅   ーダンテ『神曲』への誘い

読書の秋のとりあえずの締めくくりとして、ヨーロッパ文学の古典中の古典を紹介したいと思います。文学が好きな人であるならば、人生のどこかの時点で紐解くことになるであろう、ダンテの『神曲』です。 ダンテ・アリギエーリ。13世紀のイタリアを代表する…

無意味のパラダイス   ードストエフスキー『鰐』について

文学の世界を散歩していて最も楽しい瞬間のひとつは、「え、こんなものが歴史に残ってしまったのか?」といわざるをえないような、珍妙そのものの作品に出会ってしまうときです。前回の記事では、読む人に考えさせる本を紹介したので、今回の記事では、文字…

書評:國分功一郎『近代政治哲学 ー自然・主権・行政』について

読書の秋なので、最近読んだ本のことを取りあげてみることにします。今年の4月に出た、國分功一郎さんの『近代政治哲学 ー自然・主権・行政』(ちくま新書)は、とても勉強になりました。著者の國分功一郎さんは、今この国のなかで最も注目されている哲学者…

ハンバートが自分でも気づかないうちに、語ってしまっていること   ー『ロリータ』における傷の問題

当然の報いというべきでしょうか、ハンバート・ハンバートとロリータの関係は、物語が進んでゆくにつれて次第に破綻を迎えてゆきます。この破綻は、ハンバートの魂にとり返しのつかない傷を与えることになり、最終的に、彼は殺人に手を染めるまでに至るので…

少女たちをたたえて   ーハンバート・ハンバートのニンフェット理論

「私の芸術は、ひょっとすると、洗練されたかたちでの性的な欲望の追求にすぎないのではないか。」たとえそうした疑いがきざしてくることがあったとしても、芸術家はふつう、自らが創りあげた作品の美によって、その疑いを上品に覆い隠してしまおうとします…

「ロリータ、わが腰の炎」   ーウラジーミル・ナボコフの小説世界へ

ところで、芸術と倫理のあいだの相克というこの問題については、暴力についで性の領域についても見ておく必要があることは、いうまでもありません。この領域においては、芸術はたえずスキャンダルを巻きおこしては、倫理の顰蹙を買いつづけてきました。 今回…

燃えゆくものはみな美しい   ー『宇治拾遺物語』と仏師良秀

芸術と倫理は、危うい均衡のうえでバランスを取りつつ、少なくとも表面のうえではつねに和平を保っています。このことの証拠としては、作品の終わりには正義がかならず取りもどされるという事実を指摘することができるでしょう。ホメロスの『オデュッセイア…