イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

筆者の状況

 
 ある女性漫画家の方が、次のように書いていたのを思い出します。「お金がないのは、首がないのと同じだもの。」なかなか強烈ですが、一度聞くとけっして忘れられないフレーズです。
 
 
 お台場あたりの海が見えるタワーマンションに住めなくてもいい。表参道の内装のしゃれた隠れ家レストランで、高級イタリアン料理に舌づつみを打ちたいわけでもありません。ただ、お金の心配に心をわずらわされることなく、植物のように静かに生きてゆきたい……。
 
 
 「金を、もっと金を!」と絶叫するくらいにお金に情熱を燃やして生きる人もひょっとするといるかもしれませんが、僕と同じような望みを持っている人の数もまた、けっして少なくないように思われます。
 
 
 要するに、こういうことです。「お金の存在を忘れて生きてゆきたい。」たとえ世の中からお金がなくならないとしても、その存在を完全に忘却しきって生きるという心の平安を得られないものか。
 
 
 誰も、空気の存在をふだんから意識して生きている人はいません。それと同じように、お金も空気くらいの存在感しか持たないものになってしまうなら、もうそれに煩わされることもなくなるでしょう。
 
 
 
 高級イタリアン 隠れ家レストラン タワーマンション 哲学 瞑想 金欠
 
 
 
 
 幸い、僕の場合には、哲学と瞑想にはほとんど全くお金がかからないので、趣味に使うお金はありません。いま、欲しいCDが一枚、あるにはあるのですが、しばらくは慢性的な金欠状態になりそうなので、とりあえずガマンすることにします・・・。
 
 
 しかし、ここまで書いてみて気がつきました。僕にとって、人生で大切なものは、信仰と希望と愛をのぞけば、あとは真理と友人くらいです。ローコストな生活を送るように気をつければ、お金にはそれほど悩まされずにすむかもしれません。
 
 
 しかし、最も大きな問題は、ピノコくんと将来一緒に暮らすことになるとしたら、何をして食べてゆくのかということです。探求に探求を重ねて、どれだけ深遠な神秘的瞑想を達成したとしてもお金にならないのは、言うまでもありません。
 
 
 「ゆううつだ。」こればかりはすぐに答えが出るわけではないので、個人的な事情を離れて、一般的な考察に早いところ逃げ、いえ、移ることにしましょう。