イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

仏さまへのイントロダクション

 
  お経を読んでいるときに驚かされるのは、悟りをえた仏さまたちが人間からかけ離れた存在として描かれるさいの、そのスケールの大きさです。
 
 
  たとえば、お釈迦さまのまゆ毛のあいだからはよく、虹のような光がほとばしり出てくる。多彩な色彩をもつだけではなく、霊的な生命力をはらんでもいるこの光は、はるかかなたの世界の果てにまで届くほどのものです。お釈迦さまは、このような虹のエナジーを自由自在に操ることができるほどに、この宇宙を貫く法則に精通している。それも、科学者のように知的なしかたで知っているのではなく、まるで水のなかを泳ぐ魚のように、自分自身の体で、どこまでも深く知りぬいている。
 
 
  そして、そんなお釈迦さまにとっては、自分の体の内と外との区別などは、もはや存在しないにひとしい。「わたしは、宇宙そのものだ。愛にあふれるわたしは、大地であり海だ。苦しんでいるすべての生き物たちに慈しみのエネルギーを降り注がせるわたしは、あなたたちすべての食べ物になろう。さあ、あなたたち。今こそ、わたしという恵みの雨を、ぞんぶんに受けとりなさい…」これだけ聞くと、ちょっとあぶない人のようでもありますが、お釈迦さまの言うことを聞いた人たちは、こういう言葉が真実そのものであるとしか思えないというから不思議です。
 
 
  この点こそ、哲学がお釈迦さまから多くの教訓を学びとらなければならないポイントでもある。 「お釈迦さまの言葉は、いつでも、なんの曇りもなく正しいものであるとしか思われない」。どんなことがあっても、間違ったことを絶対に言わない人。その言葉によって、他の人たちの心を悟りにむかって向け変えずにはいない人。つまりは、あのペリアゴーゲーの達人です。
 
 
  みずからが達成した絶対的な自由を、まるで波のエネルギーを伝えるようにして人びとに行きわたらせずにはいない、最高の伝道者。万能のシンクタンク。口達者な瞑想マスター。危険なほどのカリスマ。全知全能のアクティビスト。文句のつけようのない勝者。なんだか、頭がくらくらしてきます。けれども、お経はこのように、読者たちに畳みかけるようにして、仏さまたちのことを口をきわめて褒めたたえつづけます。この膨大な称賛の部分をなくしてしまうと、もうほとんどお経の内容がなくなってしまうと言ってもいいくらいです。
 
 
  そして、仏教の教えによれば、このように超人的な境地にまで到達した人間は、お釈迦さまその人にはかぎられません。なんと、驚くべきことに、この世界のなかには無数の、それこそガンジス川の砂の数ほどの仏さまが存在しているというのです。過去と現在と未来にわたる、壮大なブッダの世界。最強の認識者たちがそこら中からぞくぞくと集まってきては繰り広げる、愛と真理のワンダフル・ワールド。明日はこの仏さまの世界について、もう少し深く入りこんでみたいと思います。
 
 
 
仏教 ペリアゴーゲー
 
 
 
 
 
 
 
 
  (追記。昨日の記事を書いたあとに、ヘーゲルのことを少し調べようと思って地元の図書館に行ってみたら、新着図書のコーナーに、チベット仏教にかんする新しい本が入っていました。その本を借りたあと、夕方になってから世田谷区のとある住宅街を散歩していたら、お寺のほうから鐘の音が聞こえてきて、またしても仏の世界に引き入れられてしまい、そのままの流れで、今日のこの記事を書くことになったというわけでした。とくに大きな事件ではありませんでしたが、人生はやはり予測のつかないものであるということをあらためて思い知らされます。なお、ペリアゴーゲーという言葉については、もし興味をお持ちでしたら、「ペリアゴーゲーについて」という5月17日の記事を参照していただけると幸いです。)
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)