イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ブログが哲学の歴史をつくる?

  せっかくの機会なので、ブログが持っている可能性についてもう少しだけ考えてみたいと思います。昨日は、知り合いから「インターネットが出てきてから、議論はすでに出尽くしているんだ。今さら何を当たり前なことを!」と言われてしまいました。反論の余地なしです。けれども、それでもいいから書いてみたいという気持ちを、どうしても止めることができませんでした。なるべく何か新しいことを言えるように気をつけますので、どうかご容赦ください。


  ブログを読むときにいちばん豊かな体験というのは、「そうか、こんな人がいるのか」と言わずにはいられないような、書く人との新しい出会いをもつことだと思います。


  書く人は、書いていることのなかで、望もうと望むまいと、自分という人間の存在をさらけ出さざるをえません。何を感じ、何を望んで、どういうリズムで考えているのか。ブログやツイッターでは、自分がもっている心のあり方、世界との向きあい方が、短い文章のうちに休むことなく表現されてゆきます。


  記事を何個か読めば、その人がどういう人であるのかについて、かなりの情報が得られてしまう。それも、たんに哲学的なスタンスだけではなくて、さまざまなものに対して感じている、とても細かなニュアンスに至るまでが伝わってしまいます。突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、実はこの特性こそが、今のこの時代に、哲学に活力を取りもどさせる原動力にもなりうるのではないでしょうか。


  どういうことかというと、ブログやツイッターが持っている、「その人の人となりが、とてもよくわかる」という特性が、「共に考える」という哲学の根本に、とても深く響きあうところを持っているように僕には思えるのです。


  生きるということを一人ではなく多くの人と共に考えるということは、哲学の本質そのものである。「私たちは、このことを考えようではないか」と主張することはお説教くさくて、そういうことが苦手な方もとても多いと思います。でも、哲学に興味をもっている人たちはきっと、生きるとはこういうことだと思うとか、人間はこれを問わなくてはいけないのだとか、そういうちょっと押しつけがましくもある言い方にたいして、どこか共鳴してしまうところもある人たちなのではないでしょうか。少なくとも僕は、問いかけてもしょうがないことを問いかけずにはいられない不器用な人たちのことが、とても好きです。そのいちばんの理由はたぶん、自分がそういう人間だからだと思います。生きるということについて、ずっとあれこれ考えていたい。できるならば、それを他の人たちとも分かちあいたい。


  昨日も少し書きましたが、今の哲学・思想がかかえているいちばん大きな問題は、「私たち」という言葉が意味を失ってしまいつつあるところにあると思います。これは言葉を変えれば、共に考えるということが、いまとても大きな危機にさらされているということでもある。けれども、ブログやツイッターの世界には、まだ「わたし」と「あなた」との出会いがある。「わたし」は、自分とはちがう生活を送りながら色々なことを考えている「あなた」に、パソコンやスマートフォンを開ければいつでも出会うことができる。「わたし」は、会ったこともない「あなた」について、とてもよく知ることができる。「わたし」と「あなた」が同じ意見になるということはたぶんないけれども、それでも、次に「わたし」が一人でものを考えるときに、おそらく「あなた」のことが頭の中をよぎらずにはいないだろう。意識するにせよ無意識であるにせよ、毎日無数に起こっているこういう出会いの出来事によって、共に考えることがすでに始まっているといえるのではないでしょうか。


  人類の歴史の流れのなかで、哲学はだんだんと、一人だけで行う孤独な営みになってゆきました。そして、そのことは今のこの時代に、ひとつのリミットを迎えつつあります。けれども、同時に、プロとアマチュアとを問わず、ブログを書いたり、ツイッターでつぶやいたりする数え切れないほどの数の哲学者たちが、このネットワーク上の新しいアゴラに現れはじめている。この事態は、哲学という活動そのもののあり方に確実に変化を加えはじめている。そしてついに、哲学が共に考えることという自らの本分に立ち返るときもまた、そう遠くない時期にやってくるのではないだろうか。


  さすがに、ちょっと妄想じみている気もします。けれども、妄想なくして哲学なし!自分が行っていることが人類の歴史の流れのなかに加わっていると想像することほど、私たちを力づけてくれるものはありません。ブログを読んだり書いたり、ツイートしたりリツイートしたりすることによって、私たちは哲学の歴史を新しく創っているのだ。そう思うと、インターネットにつながることがとても楽しくなってくるのではないでしょうか。希望にあふれるあまり、もはやネット中毒になってしまいかねません!お互いに、目の使いすぎなどには注意しましょう。
 



  (今日の記事は、思いがけずとても長くなってしまいました。明日からはまた、もっと短くまとめるように気をつけることにします。)