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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

人文系の学問の未来を考える(2)

  人文系の学問の危機にたいして、どう対処したらいいのでしょうか。これはつまるところ、人文系の学問が国から予算をもらうためにはどうしたらいいだろうかという問題になるかと思います。あまりお金の話はしたくはありませんが、現実を見ないわけにはいかない。これから先、さらに予算が減ってゆくならば、この国の思想や文学はますます衰退へと向かってゆくでしょう。ひょっとすると、あらゆる人文知はいずれ、大学から完全に消え去ってしまうことになるのでしょうか?い、い、イヤだ。そんなことは断じて、受け入れられません!
 
 
  では、どうすればいいのでしょうか。まずは、大学のなかでよく聞かれる、次のような意見を検討してみたいと思います。「哲学や文学は、他の何かの役に立つといったものではない。これらのものは、それ自身において永遠の価値を持っているのだ。哲学や文学を実用性の領域におとしめるのは、冒涜以外の何ものでもない。だから私たちは、人文系の学問にのしかかってくるさまざまな圧力に屈することなく、この永遠の価値を守りつづけるしかないのだ。」
 
 
  僕は、この意見にたいして反論を加えたいところは、ほとんどありません。むしろ、ここで言われていることのエッセンスは、まったく正しいと思います。哲学や文学には、永遠の価値がある。人文系の学問は、自然科学と同じように、この世界をつくりあげている真実そのものに深く触れている。だからこそ、こうしたものは大学のなかできちんと守らなければならない。
 
 
  けれども、残念ながら、これでは問題を解決することにはならないと思います。こういうロジックは、人文系の学問の価値をすでに認めている人たちにたいしてしか、有効ではないからです。予算を削ろうとしている人たちの言葉を思い出してみましょう。「人文系の学問なんて、世の中の役に立たないじゃないか。」こういう言葉を言われたときに、「いや、役に立たないように見えても、そこには永遠の価値があるのだ」と反論しても、話が平行線になってしまいます。悲しいことに、大学はいま、現実に働きかけうる力をほとんど持っていないのですから、この主張を繰り返しているかぎり、事態が好転することはないでしょう。
 
 
人文系の学問
 
 
  それでも私たちは、大学が予算をもらえるように努めなければならない。それはなぜかといえば、この世では、永遠なものの価値を守りつづけるためにもお金が必要だからです。おそらく、哲学や文学にかかわっている人たちのなかには、金銭の問題にはできるだけ関わりたくないという感情も働いているのではないかと思います。けれども、いまの事態では、もうそんなことを言っている場合ではないというのも事実です。「ちょっとやそっとのことでは、いかんともしがたいピンチがやって来ているのだ。たとえ不慣れで苦手だとしても、人文系の学問を愛する人たちは、これからしばらくのあいだは覚悟を決めて、ひとつお金にあくせくしてみようじゃないか!」お金よりもずっと大切なものの価値を守るためにも、そう考えてみる必要があるのではないか。
 
 
  僕は、どちらにしろ小細工は通用しないのだから、もう正面突破でゆくしかないのではないかと思います。「人文系の学問なんて、世の中の役には立たないじゃないか。」それならば、その言葉に真剣に向きあって、そうではない、人文系の学問はちゃんの世の中の役に立つのだということを、真正面から示せばよいのではないでしょうか。
 
 
  人文系の学問は、永遠の価値をもつだけではなくて、ちゃんと世の中の役に立ちもする。もし、そのことさえ説得力をもってきちんと示せるとするならば、予算を削ることはできなくなるはずです。なにしろ、そうなった暁には、人文系の学問は役に立つ、とても立派なものであることが知れわたっているのです。そんなものには予算を出す必要がないどころか、むしろ逆に、そういう大切なものは、きちんと国で守ってゆかなければならないということになるでしょう。
 
 
  そもそも、国のすべての人たちから集めた大事な税金を有用なものに使うというのは、きわめて真っ当な考え方です。文科省の方たちがニーズのある分野にお金を集中させようと決めたというのも、その点からすればしごく当然なものであると考えることができる。けれども、人文系の学問が世の中の役に立つということさえもはや証明されたのならば、文科省の方たちも、次のように考えてくれるようになるはずです。「役に立たないと思ってお金を削ったけれど、なんてこった。ああ、しくじった!人文系の学問はこんなにも立派で、役に立つものだったじゃないか。でも、今からでもまだ時は遅くない。さあ、お金をたっぷりと人文系の学問に投入しよう!この国を、人文系の学問が花ひらく国にするんだ!」
 
 
  楽観的にすぎるでしょうか。人文系の学問が世の中の役に立つことが将来にはもっと認められるようになるなんて、夢物語でしょうか。いや、そうではない、このことは今すぐに実現するのは難しいけれども、長い目でみれば現実的にみても十分に可能なのだということについて、また、人文系の学問が役に立つということのそもそもの意味について、明日また論じてみたいと思います。数年のあいだにがらっと空気を変えて、十年後には成果が出はじめ、数十年後には立派な果実がみのる。そういう未来を想像してみたい。憂鬱な気分を吹きとばして、予算をじゃんじゃん下ろしてもらえるようなヴィジョンを描いてみましょう!
 
 
 
 
  (追記。この記事では、人文系の学問といいながら、哲学や文学の名前を出しただけで、たとえば社会学や美学などといった、その以外の学問の名称には触れられませんでした。それは、この記事を書いた僕が、主に哲学や文学を勉強してきたからです。哲学や文学と書いた部分をその他の学問の名前と置きかえても議論の大筋は変わらないのではないかと思いますが、読んでくださった方は表現に違和感を感じられたかもしれませんし、社会科学を専攻なさっている方などは、まったく別のものの見方をお持ちかもしれません。記述が一面的なものになってしまったことを、ここでお詫びしつつ断らせていただきます。)
 
 
 
(Photo from Tumblr)