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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

与謝野晶子と、欲望される身体

 
細きわがうなじにあまる  御手のべて  ささへたまへな  帰る夜の神
 
  昨日は和泉式部の和歌を取りあげたので、私たちの時代に近いところから、もう一人だけ論じてみることにしてみたいと思います。明治の初めに生まれた歌人である与謝野晶子もまた、恋に生きる女性として華々しい文壇デビューをとげた人でした。けれども、和泉式部が自分でもとどめがたいほどの恋愛気質であったのにたいして、彼女の方はそうではありませんでした。彼女が身も狂わんばかりの恋を歌いあげていたのは、キャリアの初めの時期のみだったということにも、そのことがよく表れています。女性解放運動に打ちこみながら歌を詠みつづけた後年の彼女の歩みも、とても興味ぶかいのですが、ここでは昨日からの流れということで、やはり若さゆえの熱病のほうに注目してみることにしましょう。
 
 
  与謝野晶子といえば、『みだれ髪』という名前を知っていらっしゃる方はとても多いのではないでしょうか。この歌集は、のちに夫となる、鉄幹との恋愛の出来事を克明に記したものとしてもとても有名です。当時の道徳意識からいえば、晶子がすでに妻もいた鉄幹との不倫の愛に身をゆだねていったという事実は、とてつもないスキャンダルを意味する出来事でした。二人のことを告発する怪文書のようなゴシップ記事さえも出まわり、社会全体を揺るがすものになった事件の顛末をたどるのは、ここではやめておきます。ただ、『みだれ髪』が、まだ20代のはじめだった晶子が、後先もまったくわからないままに恋のなかにのめりこんでゆくなかで、その体験を美のうちに結晶させようとした作品であるということを確認するだけにとどめておきましょう。
 
 
  後年の晶子は、『みだれ髪』の話をされると、明らかに気の乗らなそうなそぶりを見せたといいます。彼女からすれば、『みだれ髪』の歌を詠んでいたときの自分は、まるで他人のように見えたということなのでしょう。それでも、この歌集が現在にいたるまで読みつがれているのは、この作品のなかの歌が、恋の体験にかかわる決定的なモメントに触れてしまっているからにほかなりません。今から取りあげる冒頭の歌もまた、この観点から見てみるとき、人間の欲望の真理にかんする、とても大きな問題にかかわっているということがわかってきます。
 
 
与謝野晶子
 
 
 「帰ってしまおうとしている、夜の神よ。細いわたしのうなじにあまるほどの手で、支えてください。」夜の神とはここでは、恋人の男性のことを意味しています。この歌は、愛をかわしあうことのできる短い時間のことを詠んだものであると、とりあえずは言うことができるでしょう。
 
 
 まずは、この歌の主体が、自分自身の身体を欲望されるイメージとして捉えているということに着目してみたいと思います。「わたしは知っているのよ。わたしの身体は、あなたにとって欲しくてたまらないものでしょう。」『みだれ髪』のなかで声を発している女性は、うら若い自分自身の容姿がまわりの男性たちを否応なく惹きつけるものであるということを、作品のうちでたえず歌いあげています。
 
 
 わたしの肉体は、欲望されるに値する。そう言いきるだけでなく、そのことをアートの美のうちにまで昇華してみせようとする女性が、世のなかに出てくることがあります。たとえば、椎名林檎のような人がデビュー当時にあれだけの話題の的になったのは、思春期にともなう危険なまでの感性のほとばしりを、『リリィ・シュシュ』ばりの深度で見せつけたからというのもありますが、ことの事情はそれだけではないように思います。椎名林檎は、これに加えて、「男性から性的な身体として欲望されるわたし」という主体の位置どりを、このうえなく挑発的なやり方でポップ・アイコンに仕立てることをもくろんだ。この点については、『勝訴ストリップ』という二枚目のアルバムのタイトルが、すこぶる示唆的です。「わたしは、世のなかに勝った。それも、自分の体をひけらかすことで。」「細きわがうなじ」について歌っている『みだれ髪』の作者もまた、世のなかをかき乱すスキャンダルの渦中で、この歌を発表しました。明治期の社会においてそのことがもっていた意味はきっと、性をめぐる認識が急激な変化をとげつつある今の時代よりも、はるかに重かったことでしょう。
 
 
 一回で終わるかと思いましたが、もうすこし長くなってしまいそうです。次回は、「夜の神」という表現がもっている意味について、考えてみたいと思います。それにしても、昨日からずっとエロティシズムやらセクシュアリティーやらについて語りつづけているせいで、なんだかちょっと座りの悪い思いをしています。人間の欲望の真理というきわめて高尚な問題について哲学の立場から考えてみたいというだけで、なんといいますか、別に自分自身がすさまじい欲求不満のうちにあるとか、そういうアレではありませんから!でも、こういうことは、かえって書かない方がいいのでしょうか……何はともあれ、次回につづきます。
 
 
 
 
 
 
 [子猫のももたろうくんですが、一昨日、無事に新しいおうちに引っ越してゆきました。部屋のなかを必死に逃げまわるももたろうくんにカゴの中に入ってもらうのはとても大変でしたが、きっと家族の方から新しい名前ももらって、幸せな生活を送ってゆくことでしょう。少しさびしいですが、とりあえずほっとしました。さようなら、ももたろうくん。新しい土地で、元気で暮らせることを祈ります。]
 
 
ねこ
 
 
 
 (Photo from Amazon)