イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

自衛隊のこれからについて考える

 
 グローバル安全保障システムは、世界各国の軍隊の働きによって保たれています。ところが、このシステムのうちに、軍隊ではない軍隊としての自衛隊が加わってゆくときには、9条との関連において、必ずどこかでさまざまな歪みが生じてこざるをえません。私たちはそのことを、カンボジアPKOの具体例を通してすでに見てきました。ここでは、これから先に自衛隊が進んでゆきうる二つの方向について考えてみることにしたいと思います。
 
 
 実は、私たちには「海外での活動は、武力行使の可能性がないものにとどめる」という選択肢もありえます。自衛隊は9条のもとで活動するのだから、やれる範囲のことをやればいいではないか、というわけです。地球の平和と秩序を守る活動には参加するが、あくまでも9条の理念を厳格に守りながらそうするのだというスタンスを取ることは、原理的には可能です。そうなってくると、活動の領域はかなり狭まることになりますが、何よりも、自衛隊員の方たちに無理をさせないですむことになります。陸上自衛隊員の海外派遣を計画している作戦幕僚のうちのある方は、匿名を保つことを条件にして、つぎのように語っていたそうです。「われわれは海外派遣を拒んではいない。しかし、できる範囲の派遣でいいじゃないですか。無理に背伸びすることはない」(半田滋『闘えない軍隊』より)。
 
 
 ところが、現在進んでいる方向はそれとは逆に、「9条のもとで、自衛隊をふつうの軍隊にますます近づけてゆく」というものです。その結果、法律についてもじっさいの活動についても、かなり無理を通すことになってしまっています。PKO法の改正などにより武器の使用条件は広くなり、それと同時に活動の範囲も大きくなってはいますが、そのようにして危険地帯に直接に関わってゆくようになればなるほど、自衛隊が抱えている矛盾もますます強まってゆかざるをえません。課されている任務が自衛隊員の方たちの極度の負担になるようなケースは、これから先も次々に生まれてくることが予想されます。
 
 
 けれども、この二つ目の方向を進めている立場のほうにも、言い分がなくはないというのも確かです。そもそも、自衛隊を海外に派遣するようになったことの大きな原因の一つには、国際的な評価がそれまで以上に低くなることを恐れたという事情がありました。「経済援助だけでなく、もっと実質的な貢献を」という声がつねに、自衛隊をこれまで、先へ先へと追いたててきました。もちろん、それに加えて、海外派遣業務の幅が広がることによって世界の人びとの役に立つことができる機会も増やしうるという、そもそもの利点も見落とすわけにはゆきません。
 
 
自衛隊
 
 
 したがって、二つの選択肢のどちらを選べばいいのかは、とても難しい問題になってきます。先にも書きましたが、現実の流れは、自衛隊をふつうの軍隊に近づけてゆくという二つ目の方向をたどっています。その先には遅かれ早かれ、9条の改憲が待っていることでしょう。
 
 
 それに対して、これから先も一つ目の方向をできるだけ保ってゆこうと試みることも、ありえなくはないと思います。ただし、そのためには、たとえ国際的な非難を受けるとしても、「私たちの国の憲法が、そうすることを要求しているのだ」と、自分の立場をはっきりと主張する必要があります。9条と同じような規定をもっている国は他にないので、自分たちの立場が独自のものであるということにたいして、きちんとした自信を持ってゆかなくてはならないことでしょう。
 
 
 私たちの国においては、「外国と同じことをしなくてもいいのか」という言葉は、とても強い力を持っています。いわゆる、「バスに乗り遅れるな」という議論です。僕も、この国が他の国とは違うことをしていると聞かされるときには、まず最初に不安になるのを止めることができません。アメリカ人などの場合には、ほかの国と違うと聞いただけで大喜びすることもあるようですから、まさしく国柄によって人はさまざまだと思いますが……
 
 
 けれども、この9条の問題を考えるさいには、「私たちはすでに事実として、まことに異様な条文を持ってしまっている」というところから出発する必要があるのではないでしょうか。バスに乗り遅れるもなにも、私たちはすでに他の国が乗っているバスではなく、ほとんど宇宙ロケットくらいにおかしなものに乗って、この70年間を過ごしてきました!ここから先は、普通のバスに乗り換えるという選択肢もありますし、スペースシャトルに乗りつづけることも可能です。ただし、その際には、私たちがすでに前人未到の宇宙空間を飛行しつづけているということを頭に入れておいてもいいかもしれません。そのことを確認するときには、私たちも自分の国のあり方にたいして、少しだけ勇気と自信が湧いてくるのではないでしょうか。
 
 
 グローバル安全保障システムと自衛隊という観点からみたときの9条の問題については、とりあえず上のように言うことができると思います。それでは、9条の条文そのものについて、私たちはどのように考えればいいのでしょうか。準備がまだすべて整ったわけではありませんが、この問いについて、哲学の側からもそろそろ本格的に考えてみることにします。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
  〈主要参考文献〉
 
  半田滋『闘えない軍隊  肥大化する自衛隊の苦悶』講談社+α新書、2005年
 
 
 
 
 
[今回、この自衛隊の問題についてさまざまな本に当たってみて気づかされたことは、僕自身がこれまで、自衛隊員の方たちについてあまり関心を払ってこなかったということでした。記事のなかでは書ききれませんでしたが、9条を守りつつ活動しなければならない状況の中で、現場の自衛隊員の方たちは、国際貢献に必死に力を入れてくださっていました。この問題を考えてゆくにあたってはまず、9条と現実とがむき出しでぶつかり合う実情を知っている、自衛隊員の方たちの声を聞くことが必要なのかもしれません。]
 
 
 
(Photo from Tumblr)