イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

いま起こっていることと、これからの選択肢   ー9条の将来について考える

 
 絶対平和を要求する憲法9条は、国家理性の側からするならば、ほとんど理解不可能なアノマリーとして存在している。言うまでもなく、国家理性はみずからの生き残りに深くかかわってくる軍事の領域を、けっして無視することができません。その領域の中にこのような規定が入りこんでいるということは、国家のあり方そのものまでがきわめて特異なものにならざるをえないということを意味します。
 
 
 したがって、国家理性は必然的に、このアノマリーを中性化・無力化する措置をくり返しほどこすことによって、国家自体を通常の国家に変えてしまおうするはずです。そして、私たちがすでに見てきたように、これが戦後70年の歴史が今までにたどってきた流れにほかなりませんでした。
 
 
 このアノマリーにとって有利に働いていた唯一の点は、それを除去するための条件がとても厳しいことでした(両議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議、そののちの国民投票による過半数の賛成)。したがって国家理性は、内側のアノマリーを除去することをあきらめて、外に表れでてくるパフォーマンスの方だけをノーマルなものに近づけてゆくことを目指しました。国家の奥深くには異様なものが潜んでいるけれども、それをうまくくるみこんでいって、それが存在しないのと似たような状況を作りだすことができるのではないか。
 
 
 ここまで来るのにとても多くの月日が流れましたが、国家理性は、このプロセスをじっくりと進めてきました。じっさいに、アノマリーにたいするノーマライゼーションのプロセスは、今この時にも刻々と進行しつつあります。集団的自衛権の行使にかんする今回の問題は、国家理性とアノマリーの歴史という観点からみるならば、きわめて重要な曲がり角になると思われます。昨日はじまった参議院での審議と、おそらくはその後に衆議院で行われることになる審議の過程は、いわば、国家理性がみずからの目的を実現してゆくプロセスであると考えることもできるかもしれません。もしこの過程が9月に完了すれば、9条は実質からいってかなりの部分まで中性化されます。私たちの国は「ノーマル」な国家にむかって、また一歩大きく近づくことになるでしょう。
 
 
 9条
 
 
 それでは、9条の未来については、どのような可能性が考えられるでしょうか。ここには大まかにいって、三つの選択肢があるように思います。
 
 
 
1.アノマリーを完全に除去する ー9条の改正
 
 
 長い目で見るならば、いずれ9条が改正される可能性はけっして低くないと思います。このアノマリー自体を取り去ってしまうことは、かつてなら感情的な反発がずっと大きかったと思いますが、今では反対の立場の方も、昔ほどに多くはなくなってきているのではないでしょうか。条文がこれほど現実に合わなくなっていることが、憲法そのものにたいする信頼を揺るがしかねないことを考えると、9条を改正することのメリットも、確かにあるといえます。あくまで私見にはなりますが、平和を愛する人のなかでも、このような意見を持っている人は多くなってきているように思います。私たちがこの方向を選択するからといって、必ずしも戦争をする国になるというわけではないということについては、ここで確認しておくべきでしょう。「絶対に平和を守るという条件のもとで、戦力を放棄するという二項の規定のみ変える」という選択肢が眼前に迫ってくる日は、まだしばらくはないと思いますが、ひょっとすると、それほど遠くはないのかもしれません。
 
 
 
2.アノマリーを中性化したまま残しつづける ー現状の維持
 
 
 けれども、9条については何としてでも守ろうとしている方はとても多いので、条文として残りつづける可能性も高いと思われます。ただし、この場合には、アノマリーにたいするノーマライゼーションのプロセスはこの後も必然的に進行してゆくことになるでしょうから、9条が実質的な力を失ってゆくのを避けるのはますます難しくなってことが予想されます。自衛隊の海外派遣をめぐる状況や、集団的自衛権の行使にかかわる今回の問題は、9条の未来にたいして大きな困難を突きつけているといえます。
 
 
 そのうえで、「9条が現実的でないのはわかっているが、あえて現実的ではない条文を置いておくことによって現実に働きかけてゆくのだ」という選択肢も大いにありえます。「軍事費がこれ以上大きくなってゆくのに歯止めをかける」「少しでも9条の理念に近い国にする」といった目標にむかって、いわばリアリスティックな見方にもとづいて9条を守ってゆく方向です。1と2は両方とも有力な選択肢なので、この二つのうちどちらを選ぶことになるのかについては、これからさまざまなしかたで議論がなされることになるでしょう。
 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)