イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

テレビジョン、アイロニー、アンダーグラウンド   ー「笑ってる場合ですよ」Y-クルーズ・エンヤ feat. 呂布カルマ

 
 今日の記事で紹介させていただく曲については、ご存知でない方のほうが多いかもしれません。インディーズで活躍するY-クルーズ・エンヤというアーティストのソロ・アルバム、『しらくべくリゾート』から、「笑ってる場合ですよ」を紹介してみたいと思います。
 
 
 Y-クルーズ・エンヤさんは独特の感性を備えている人で、「点が」などの作品をYouTubeで検索していただけると、その世界観の一端がうかがえるかと思います。歌詞の内容としては、上品とはとても言いがたく、これこそまさにアンダーグラウンドという感じです……。しかし、「笑ってる場合ですよ」や「点が」からもわかるように、作品の音の仕上がり自体はとても上質で、そこに心地よくボーカルが乗ってくるので、不思議と抵抗感なしに聴けてしまいます。
 
 
 一方、ゲストとしてラップのパートを担当している呂布カルマさんという人は、ヒップホップのアンダーグラウンドで活躍している、知る人ぞ知るカリスマです。この人は、まわりのことを気にせず自分の道をひたすらに突っ走っているようでいて、実はこの時代をとても深いところで捉えているアーティストでもあるように思います。
 
 
 エッジのきいた美の感覚と批判的な知性を合わせもつこの二人は、曲のなかで、今のマスメディアの姿を鋭くえぐり出しています。この国においては数すくない社会派の音楽であるといえますが、高度に知的であるだけでなく、アートの観点からみたときの完成度もとても高く、1980円というアーティストが提供するトラックも、浮遊感と終末観が漂っていて、とても心地よいものです。今から、曲の内容を見てみることにしましょう。
 
 
 
笑ってる場合ですよ / Y-クルーズ・エンヤ feat. 呂布カルマ
 
 
 
 この曲が、テレビをめぐる状況を主要なテーマとしていることは、題名や歌詞からも明らかでしょう。「ヘイポー」という名前については、『ダウンタウンガキの使いやあらへんで‼︎』という番組とともに、なつかしく思い出される方も多いかもしれません。
 
 
 この曲は、テレビ番組が笑いを生み出すさいの、そのしくみ自体を切りとってみせています。視聴者が、番組の中に登場する人間を笑う。そのとき、笑われる側の人は、往々にして視聴者よりも弱く劣った立場の人間として描かれます。たとえば、情けなくて、おどおどしていて、卑小で……といった具合です。テレビのバラエティー番組はここのところ、こうした人物たちが登場する「笑える」場面を、いささかやりすぎなのではないかというくらいに提供しつづけてきました。
 
 
 ここで皮肉なのは、番組のなかで「視聴者から笑われて切り捨てられる人たち」が、じつは番組を企画する側の演出によって作られているという点です。よく練られた脚本が、視聴者が特定の人をあざけり笑うようにしむける。テレビ番組の舞台裏ではつねに、視聴者の自意識をしっかりと把握しているシナリオライターが、「他人を上から眺める喜び」を快適に感じさせる台本を書きつづけているという事情があります。
 
 
 よく考えるとすこし恐いことですが、笑いという現象のうちには多くの場合、攻撃性が避けがたく含まれていることは否定できません。けれども、この攻撃性は、たとえばバナナの皮に滑るのを見て笑うくらいのレベルに和らげられているならば、ほほえましいものであるだけでなく、コミュニケーションを豊かにしてくれるともいえます。喜びにみちたコミュニケーションは、こうした「健全なじゃれ合い」の要素なしには成り立ちえないのだとさえ言えるかもしれません。
 
 
 しかし、ひとたびこの攻撃性が度を越したときには、笑うことと笑われることは、サバイバルの様相を呈するようになります。相手から笑われる前に、相手を笑わなければならない。笑われることは、社会的に殺されることに等しいから。殺される前に、殺すのだ。こうして、お互いの弱みを見せあって、ともに愛情をこめて笑いあう喜びを求めていたはずのコミュニケーションは、一方的に相手をあざ笑って切り捨てることを目的とする、むき出しの闘争へと転化してしまいます。
 
 
 Y-クルーズ・エンヤと呂布カルマの「笑ってる場合ですよ」は、笑いのうちに含まれるこうした残酷さを、とてつもなくクールな音楽として表現することに成功しました。この曲はおそらく、笑いにともなう残酷さを肯定しているわけでも、否定しているわけでもないと思います。この場合、アートはただ、現実の姿を前よりもはっきりと見えるようにすることを役割としているといえるのではないでしょうか。「深夜のテレビを見て笑うあなたが、人を傷つける喜びを味わっていないとは言わせない」。アンダーグラウンドから発信されたこのアイロニーの極北は、今のこの国の若者たちにたいしては特に、きわめてリアルなものとして迫ってくるように思われます。
 
 
 とはいえ、グラビアアイドルへの言及などによって気を抜かせてくれる箇所も随所にちりばめられているし、何よりもトラック自体が心地よいので、悪意をテーマとする曲であるのに、曲自体からはそれほど悪意が感じられない仕上がりになっているのは、さすがとしか言いようがありません。篠崎愛さんについて韻を踏んだあとに入る、呂布カルマさんの「マジこんなんでいいの?」というセリフは、理屈ぬきで勝っています……。
 
 
 それから、もちろんテレビ番組には健康に笑って見ることのできるものもたくさんあるので、今日書いたことは、話半分くらいに受けとっていただければ幸いです!たとえば、深夜枠でも活躍しているマツコデラックスさんは、いつもあれだけ怒っているし、センシティブな話題にもためらわずに踏みこんでゆくのに、嫌味をまったく感じさせずに見る人を笑わせてしまうのはすごいと思います。最後に、あまり今日の話題に関係はないですが、テレビというと、NHKの生き物ドキュメンタリー番組である『ダーウィンが来た!』のヒゲじいが、個人的にはわりと好きです。毎回くり出されるダジャレは、控えめにみても面白いとはとても言いがたいですが、なぜか嫌いになれません。隠れファンは意外に多いのではないかと思っているのですが、どうでしょうか……?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[この記事は、アップした日にツイッターを介してY-クルーズ・エンヤさんと呂布カルマさんに直接読んでいただくことができました。本当にありがとうございました!お二人の音楽については、また改めて論じてみたいと思います。]