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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

「ロリータ、わが腰の炎」   ーウラジーミル・ナボコフの小説世界へ

死の欲動と倫理の問題 本について 本、音楽、映画 哲学
 
 ところで、芸術と倫理のあいだの相克というこの問題については、暴力についで性の領域についても見ておく必要があることは、いうまでもありません。この領域においては、芸術はたえずスキャンダルを巻きおこしては、倫理の顰蹙を買いつづけてきました。
 
 
 今回からの記事で取り扱いたいのは、20世紀のアメリカで活躍したロシア人作家、ウラジーミル・ナボコフの傑作『ロリータ』です。最初に、この小説の作者であるナボコフについて、少しだけ解説を加えておくことにしましょう。
 
 
 ソビエト連邦を生みだした革命により、ロシア貴族の家庭に生まれたナボコフが大西洋を越えてアメリカへと亡命せざるをえなかったことは、彼自身にとっては不幸なことでしたが、ひょっとするとこのことは、芸術の歴史にとってはまたとない僥倖であったといえるかもしれません。この人は、本来ならばあのマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』のような小説を書いていたかもしれないような、とても繊細な感性を備えた人ですが、後年、アメリカの大衆文化にもまれてゆくうちに、貴族的でありながら倒錯的、高尚でありながらとてつもなくポップな小説を書く奇人作家への変身を遂げました。あまり美しい表現ではないので、ここで用いるのはとても心苦しいのですが、同じアメリカの作家であるスティーブン・キングの小説中の言葉を借りるならば、「格調の高いゲス野郎」という表現が一番ぴったりと当てはまるかもしれません……。
 
 
 『ロリータ』は、ナボコフの出世作にして代表作です。この題名は、あまりにも有名なあの「ロリータ・コンプレックス」という言葉を生みだすことにもなりましたが、それはともかくとして、若島正さんの訳を用いつつ、さっそく小説の冒頭を見てみることにしましょう。
 
 
 
ロリータ
 
 
 
 ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。
 
 
 有名な冒頭部分です。英語の表現でいうと、次のようになります。 
 
 
 Lolita, light of my life, fire in my loins.  My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo . Lee. Ta.
 
 
 
 音の響きが、詩のように美しい一節です。最初の文については、Lの音とFの音で統一してあることが見てとれます。とくに、"the tip of the tongue"から始まる箇所のリズムは、まるで春の午後の小川の流れのような清らかさをたたえています。''at three"の挿入のしかたからは、英語の詩を深く愛している人の書く文章であるという印象を抱かずにはいられません。性愛を赤裸々に謳いあげたものでないならば、子供たちの文学教育にもぴったりと言えそうな散文です。
 
 
 これは、この小説の主人公であるハンバート・ハンバートが、彼の生命の情熱そのものともいえる少女、ロリータのことを呼び求めている場面です。「腰の炎」という表現のうちに、露骨な性的欲望が告白されていますが、高貴なヨーロッパ文化の精髄を飲みほすようにして育ったハンバート・ハンバートは、この小説の中で、みずからのあられもない欲望を文学的な表現に昇華させることにたいして、この上ない愛着を抱いている人間として描かれています。
 
 
 まだ性的な関係をもつことが社会的に認められていない少女を愛することは、不幸なことに、この世では紛れもない罪になってしまう。ハンバート・ハンバートは別の箇所で、次のように言っています。「しかしここは文明人としておとなしくふるまおうではないか。ハンバート・ハンバートは善良になろうと懸命に努力した。誠心誠意そうしたのである。」彼は、このように、自分のことを一人称ではなく名前で呼ぶことをはじめとして、小説の全体をとおして読者にたいして常におどけてみせています。これは、劇場型犯罪に手を染めるものにきわめて近い心理であるということができるかもしれません。
 
 
 この一節において忘れがたいのは、ロリータという名前についての音韻論的な考察です。LoとLeeの音を発音するときには、舌は口蓋のうえのあたりにくっついています。OからEへの母音変化とともに、声帯から発される音は、まるでしだいに高まってゆく快感のように、胸の底から湧きあがってくる響きを帯びるようになる。
 
 
 けれども、悲しいかな、あらゆる悦楽は、有限な存在である私たち人間においては長持ちしません。最後の瞬間になると、舌は短く甘美なエクスタシーのひとときを終えたかのように、下の歯のあたりに休息の場所を求めて、無声歯茎破裂音のTaに到達します。その様子は、恋人の身体を味わうだけ味わいつくしたのちに、ベッドのシーツという大海へと崩れおちてゆく男性の姿に似ていると言えるかもしれません。
 
 
 さて、性的嗜好だけですむならばまだよかったのですが、ハンバート・ハンバートの場合には、たどった人生の道のりはそれだけで収まりませんでした。「殺人者というものは決まって凝った文体を用いるものである。」この告白からもわかるように、ハンバート・ハンバートという男は、少女性愛趣味者であるだけでなく、紛れもない殺人者でもあります。これから、この男の心の内側をもう少し探ってみることにしたいと思います。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
[今回からの記事については、真理の追求という気高い使命のためとはいえ、性の領域のうちに踏みこまなくてはならないのが、心苦しいかぎりです。不快な気分にさせてしまったとしたら、申し訳ありません!表現には細心の注意を払いたいと思います。]
 
 
 
(Photo from Tumblr)