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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる」 ー死の欲動についての考察のおわりに

 
 芸術と倫理についての探求の終わりに、以前の記事において取りあげた言葉について、もう一度考えてみることにしましょう。
 
 
 「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる。」やくしまるえつこさんのこの言葉は、私たちの想像をはるかに超えて、この時代の問いの中核に触れてしまっているように思います。できあいの道徳法則が働かないところで人間の世界を生きてゆくとしたら、出会う人びとすべてとのあいだに感情をいきいきと通いあわせることは、生き残るために必要になってこざるをえないのではないでしょうか。人間どうしをつなぐものの存在がどんどん希薄なものになってゆくという、ある種のサバイバル状況のなかで、ふだん語ることを避けている愛という言葉が、私たちの意に反して前景に現れてきます。
 
 
 私とあなたをへだてる無限の遠さにもかかわらず、あなたのことを愛するためには、一体どのようにすればいいのでしょうか。伝えることの不可能性に直面せざるをえないところで、何かを伝えようと試みることの意味とは。思い返してみるならば、芸術家と呼ばれる人たちは、それぞれの時代ごとに、新しい愛のかたちを手さぐりのなかで生みだすことを重要な務めとしてきました。トム・ヨークをはじめとするさまざまなアーティストの作品を見てきた私たちは、自分たちの時代に課されている課題がどのようなものであるのか、うっすらと予感することができるように思います。
 
 
 それはおそらく、人間同士がお互いにつながってゆくことができることを前提にしたうえでの友愛ではありません。国や生まれた土地が同じであることを基盤にした無条件の感情は、完全に消えてしまうことは決してないでしょうが、これから先はますます、そうした感情だけでは人間どうしの関係が立ちゆかなくなってゆくことでしょう。芸術家たちは、こうした状況のなかで、私たちよりも先に私たち自身の悩みを苦しむ先触れにほかなりません。私たちは、彼らの作品に触れることではじめて私たち自身の姿を見いだすことができるという部分があるのかもしれません。
 
 
 たとえば、村上春樹さんが書く小説が私たちのうちの多くの人の心を捉えているのは、一つには、彼の小説が、私たち同士のあいだをへだてている乗り越えがたい断絶を直視しながら、一人一人の人間の存在を超えたところで動いている世界のかたちを描きだそうとしているからという事情があるように思います。春樹さんがSFやファンタジーの要素を本のなかに取りこまざるをえないのは、おそらく彼が、今の時代の人間は、そうした要素を介することなしには人と世界とのつながりを思考することができないのではないかという直観に突きうごかされているからということができるのではないでしょうか。
 
 

死の欲動

 
 
 芸術はこうした状況の中にむき出しで飛びこんでゆく、心の冒険にほかなりません。ふだん前提とされている生きることと死ぬことの境界を飛びこえ、何ものにも捉われない自由をめざして、自分の欲望を追いかけること。このことはおそらく、いわゆるアートであろうと、エンターテインメントであろうと同じです。スクリーンの中であるならば、夢のアミューズメントパークが暴走した恐竜たちによってめちゃくちゃになってゆくを見るのは、なんと楽しいことでしょう!そうしたものを楽しいと感じるのは、心のなかに、私たちの意識を超えて働く衝動が存在しているからです。
 
 
 ジークムント・フロイトは、死の欲動を無視したときには、人類はとてつもなく誤った方向に進んでしまう恐れがあると考えました。心のなかで猛威をふるう創造的なエネルギーは、映画やマンガのなかで日常の範囲を超えた自由を手にいれるとき、何ものにも代えがたい喜びを体験することができます。そうしたことを考えると、映画館に行きさえすれば荒れ狂う恐竜を観ることのできる私たちの時代は、少なくともこの面から見ればとても平和な時代であるということができそうです。
 
 
 同時に忘れることができないのは、私たちがそうしたものに触れるとき、どこかの時点で倫理の危機にも直面せざるをえないということです。自由になった心は善悪の彼岸に放りだされて、人間と人間のあいだをつなぐものは何であったのかを、はじめて正面から問いかけられることになる。いくぶんかの人たちはそこで、なぜ道徳を守るべきなのかという問いへの答えを見いだせなくなって、悩み苦しむことになります。
 
 
 「いつでも、どこでも、誰でも、愛してる。」さまざまな作品がここで私たちに語りかけるのは、人間を本当の意味で生きることへと向かわせてくれるのは、不可能なものに直面しつつ愛することにほかならないのだという、根本のところではきわめてシンプルなメッセージです。けれども、このどこまでも単純な真実を伝えるのは、それこそ針の穴にラクダを通すくらいに難しい。今回のシリーズの最後では、この魔法のような企てに成功しているのではないかと思われる音楽作品をいくつか取りあげて論じてみましたが、しゃべりすぎることで魔法の力をかえって損なってしまったのではないかと思うと、すこし心配です。針の穴をこれ以上小さくしないためにも、ほぼ半月にわたって続いてきたこのシリーズは、これで終わりということにしたいと思います。
 
 
 途中、Y-クルーズ・エンヤさんと呂布カルマさんに直接に記事を読んでいただくという予想外の幸運にあずかれたことは、忘れられない思い出になりました。アートについては、やくしまるえつこさんや、村上春樹さんをはじめ、まだ十分に考えられていない宿題が数多く残ってしまいましたが、また近いうちに論じてみたいと思います。最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)