読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

私たちの時代のアゴラ   ー1月17日のゲンロンカフェで起こっていたこと

 
 1月17日にゲンロンカフェで行われたイベント『現代思想の使命』の内容について、ここで多くを語るのは控えておくことにします。その頃、世を騒がせていたシャルリ・エブド事件についてのコメントにはじまって、ニヒルな社会派作家であるミシェル・ウェルベックの作品を引きあいに出しつつ、移民問題を絡めながらヨーロッパの状況について語ったのちに、話題はさまざまなところへ飛んでゆき、気がつくと浅田彰さん、中沢新一さん、それに東浩紀さんのそれぞれが、現代の状況を踏まえながら、みずからの思想を語り出していました。
 
 
 プラトンの対話編の中には、次のような表現が見られることがあります。「ねえあなた、あの時にあなたがあの場所にいなかったのは、本当に残念なことでしたよ!集まった人たちは、どんなに美しく語ったことでしょうか。」古代のギリシア人たちは、真理や美、政治の正しさといったさまざまなテーマについて一つの場所に集まって語ることを、何よりも楽しんだ人たちでした。浅田彰さん、中沢新一さん、東浩紀さんは、文句なしにこの国の思想界のトップを走っているといえる人たちなので、その三人が場所を同じくして語るのを聞けたということは、その場にいた人たちにとって大きな喜びであったといえます。今日の記事では、このことの意味について掘りさげて考えてみることにしましょう。
 
 
 文化の世界のなかで書物が特権的な役割を果たしていた、かつての時代は終わりを告げて、私たちの時代はふたたび、場を同じくして語ること、対話することにたいしても、大きな意味を与えはじめている時代です。メディア環境のラディカルな変化によって、対話している人間の姿を同時に世界中に配信したり、そのまま保存したりすることが可能になりました。このことによって、対話と書物の関係について、もう一度考えなおしてみる必要が生まれているように思います。
 
 
 対話することが持っていた致命的な弱みは、その場で消えさってしまうこと、そして、その場にいる人にしか影響が波及しないことでしたが、いま見たように、この二つの短所はすでに、テクノロジーの発達によって解決されています。思想の世界だけをみるにしても、この21世紀には、対話することの価値の復権が際だったかたちでなされるだろうと予想することができます。
 
 
 
ゲンロンカフェ 中沢新一 東浩紀 浅田彰
 
 
 
 そもそも、対話することは、本と対比したときにも、独特の魅力を備えているといえます。身ぶりや顔つき、目配りや手つきなどのうちに知性の炎がひらめくのを目にすることは、たくさんの本を読むのと同じくらいに多くのものを伝えてくれる。何よりも、私たち人間は、自分でも真理をいきいきと語りたいし、他の優れた人たちが真理を美しく語るのを見ることを欲する存在です。
 
 
 世界のあり方について、生きることについて、国や社会のあるべき姿について、自由に語ってみたい。そして、知恵のある人びとがそうしたことについて語るのを聞いてみたい。人間には、絶対的な真理を確実に掴みとることは不可能かもしれませんが、「これは事柄の真実そのものに迫っている」といえるような真理の語りは、いつの時代にも存在しつづけてきました。対話するということは、聴く人びとのすべてに発見の驚きをもたらす真理の語りをめざして、言葉をかわしあいつづけることにほかなりません。
 
 
 確かに、真理という言葉を持ちだしてしまうと、ふだんの世界からは縁とおいものであるように感じられるということは否定できません。僕も、知らない人から急に話しかけられて、「今から真理について語ろう!」と誘われたとしたら、たぶん断ると思います……。
 
 
 けれども、「あの夜はまさしく伝説的だった。あんなに面白い話が聞けるとは思わなかった!」という評判をどこかで聞いたとしたら、それを聞いてみたかったと感じる人は多いのではないでしょうか。僕もじっさいに1月17日にはゲンロンカフェにいましたが、生きたレジェンドとしか言いようのない二人をゲストとして招いて行われた『現代思想の使命』は、そうしたトークイベントの一つであったとは、はっきりと言えると思います。本当に、なにか特別な雰囲気が漂う一夜でした。
 
 
 東さんは、前回にも取りあげた『すばる』2015年2月号のインタビューの中では、ゲンロンカフェを、未来には「聖地」と呼ばれるくらいの場所にしてゆきたいと語っています。「五反田の街にはゲンロンカフェがある」という認識は、すでにこの国の人文系の学生たちのあいだにはかなり浸透していますが、一般社会のなかに本格的に根を下ろしつつあるこのイベントスペースが、言論の世界の未来を考える上でけっして見逃せないものであることは間違いないと思います。
 
 
 それにしても、『すばる』のインタビューを読んでいると、東さんが、人文知の危機が表立って叫ばれるようになるはるか前から、人文知の未来を考えながら一貫した活動をつづけてきたことがよくわかります。東さんは、大学における人文知が危機に立たされて世間が騒いでいたときに、「こうした流れは予想していたし、それに備えてじっさいに行動も取っていた」と発言することのできた、数少ない人の一人です。東さんに引きつづくかたちで、人文知の世界からさまざまな試みが現れてくることを期待したいところです!
 
 
 私たちは、ブログ文化、ジャーナリズム、人文知のそれぞれの世界において、いま新しく生まれつつある動きを眺めてきました。見るべきものは他にも数多くあるかと思いますが、これから数回の記事では、この国の言論の未来について、これまで得られた認識にもとづいて大まかな見通しを描いてみることにしたいと思います。
 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)