イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

たまには、自分だけの場所を踏みこえたところで   ー言論の未来についての考察のおわりに

 
 ゆっくりと進んでいる変化であるために、しばしば見落としてしまいがちですが、この国のマルチチュードはこの数十年のあいだに、とても大きな変化を遂げつつあります。確かに、これからのちの日本は、多くの問題に向きあってゆかなければならないことでしょう。たとえば、他の国にくらべて労働時間がすこし長すぎること。年金が破綻の危機を迎えつつあること。そもそも、日本という国のかたちを、これからどのようにデザインしてゆけばいいのかということ……。
 
 
 けれども、私たちは、そうした数多くのトピックについて、色々な場所で、今よりももっと活発に議論がなされる未来を思い描くことができるのではないでしょうか。これから先の子供たちに今の時代以上の豊かさを与えることは、難しいかもしれません。けれども、パブリックな問題について誰もがもっと自由に話しあえる言論の場を用意しつつ、社会のかたちを多くの人にとって望ましいものに変えて手わたすことは、十分に可能だと思います。
 
 
 このシリーズにおいては、「もっと言葉を!」というスローガンを立ててみましたが、この観点からすると、今のこの国に最も必要なものの一つは、活発な言葉の営みなのだということもできるのではないでしょうか。このシリーズの終わりに、もう一度この点について考えてみることにしましょう。
 
 
 「マルチチュードの私生活モードにおけるつながりと力が、共生モードにそのまま転換されてゆく。」こう言ってみると、なんだか縁とおいものにも聞こえますが、前回見たように、そこで指し示されている事態は、きわめて身近なものです。ツイッター上でのつぶやきを見たり、あるニュース記事について、知らない人がつけたコメントを目にして考えたりすることは、それを行っている私たちの心に、実生活と同じくらい重要な変化をもたらしています。インターネットにはどこか、私たちの心をとても大きく開いてしまう部分があるようです。
 
 
 口に出しては言えないようなことを書ける場所。思っていることを自由に表現できる場所。インターネットとは、ふだん以上にダイレクトに心が心がつながってしまう場所であるといってもいいかもしれません。確かに、こうした事情によって、さまざまなところで大きな問題が引き起こされているというのも事実ですが、ものごとの悪い部分は、どんな場合にも目立ってしまうものです。あまり人目を引くことはないけれども、毎日静かに起こりつづけていることに目を向けておくことも大事なのではないでしょうか。
 
 
マルチチュード インターネット
 
 
 インターネットの世界は、私とあなたとの出会いがたえず起こっているという、とても不思議な場所です。一対一の関係がこれほど生まれやすい場所、相手の言葉がこれほど自分の心のうちに入ってきやすい場所は、なかなかないといえそうです。
 
 
 ここには、私が自分だけの領域を超えてゆく可能性があると言ってもいいかもしれません。時代と国を同じくして生きている人が考えたことに、秘密の打ち明け話のようにして耳を傾けるとき、私たちは、「この世界で生きているのは自分だけではない」という言葉の、深い意味を知るように思います。誰もが、時には人生について悩んだり、苦しんだりしながら、自分自身に問いかけつづけて生きている。自分がまったく知らない人たちも、世界のなかで起こる色々な出来事に、本当にさまざまなことを考えつづけながら毎日を送っている。
 
 
 こうしたことに気づくことを後押ししてくれるテクノロジーを手にした私たちは、とても大きな問いかけに向きあっているということができるのかもしれません。たまには自分だけの場所を踏みこえて、他の人が抱えている問題について考えてみてもいいのではないか。孤立した個人の領域を超えて、言論のマルチチュードへ。安保法案にかんして起こっていることを横目に見ながら進めていったこのシリーズでは、いま言葉の世界で生まれつつある新しい動きを取りあげつつ、一人一人の人間の力によって形づくられる言論の未来を思い描いてみました。大まかな見通しを示すだけになってしまいましたが、読んでいただいた方が将来にたいして少しでもよい展望が持てるようになったとするなら、これにまさる喜びはありません。
 
 
 
 
 
 一点だけ補足しておきます。インターネットを中心にして生まれつつある新しい動きは、対話や議論の要素を支えにしながら、この社会のうちに理性の働きを押しすすめてゆくという点で、国の全体を新しいものに変えてゆく可能性をもっていると思います。けれども、変わってゆく部分も大きいけれども、本当は、思った以上に変わらない部分も大きいということにも目を向けなければならないところです。今回のシリーズにおいては、テレビや新聞といった旧来のメディアのことなどにも触れつつ社会全体について考えてみることは、断念せざるをえませんでした。
 
 
 ここにはおそらく、「理性の日本」と「共感の日本」とでも呼べるような構造が横たわっています。そして、インターネットに代表される理性の日本にも問題含みな点が数多くあることを無視できないのと同じように、テレビや新聞に代表される共感の日本の中には、捨てさるべきではないものが少なからず存在しているのではないか。この国のつぎの時代を思い描くためには、おそらくこの点について触れずにすますことはできません。僕は、ここ数十年のこの国の問題をまとめるとするなら、この古い日本と新しい日本の関係の問題に帰着するのではないかと考えています。今回のシリーズでは、生まれつつある新しい日本の姿について大まかな見通しをつけたので、少し時間を置いたうえで、また別のシリーズでこの点について論じてみたいと思います。
 
 
 読んでいただいて、ありがとうございました!よい連休をお過ごしください。
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)