イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

無意味のパラダイス   ードストエフスキー『鰐』について

 
 文学の世界を散歩していて最も楽しい瞬間のひとつは、「え、こんなものが歴史に残ってしまったのか?」といわざるをえないような、珍妙そのものの作品に出会ってしまうときです。前回の記事では、読む人に考えさせる本を紹介したので、今回の記事では、文字どおり何も考えなくても楽しめる短編を紹介したいと思います。ドストエフスキーの隠れた傑作『鰐』です。
 
 
 フョードル・ドストエフスキーというと、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった、人間の魂の真理そのものに迫る、きわめて深遠な作品を書いた人という印象が強いかと思います。事実、そうした側面があるのも確かなのですが、この人が、まずもってユーモアの人であるということもまた、忘れることはできません。
 
 
 たとえば、『地下室の手記』の主人公の、あのすさまじい書きぶりはどうでしょう!主人公は、地下室で引きこもりの生活をつづけつつ、誰にも会わないままに、『デスノート』 の夜神月ばりのアブない思考を展開しつづけます。確かに、彼の思考のテーマは深刻で、とても多くのことを考えさせられるのですが、その一方で、彼の書いたものは、時おりめちゃくちゃに人を笑わせずにはいない力を持っているといえます。
 
 
 少し話はそれますが、この作品の最終部分は圧巻です。ネタをばらすのは控えますが、主人公は地下でノートを書くだけの生活をしているのにもかかわらず、「俺は世界に勝ったんだ!」といわんばかりの勢いで、私たちにむかって、ある挑発をしてみせます。ラストには、破れかぶれの引きこもり的ユーモアを徹底していったところに、底知れない恐ろしさが立ち現れる。この主人公のことは、小説のなかの登場人物とはいえ、けっして忘れることができません。
 
 
 本題に戻りましょう。そもそも、ドストエフスキーは、その活動の初期からユーモアを全開にした作品を書きつづけた人でした。二作目の『二重人格』は、感動のデビュー作の『貧しい人びと』から打って変わって、『GTO』の内山田教頭の挙動不審ぶりに輪をかけたような役人の主人公が、正体不明の分身につきまとわれつづけるという、一読して、いったい何をテーマにしているのかがよくわからない作品です。たんなるテンションの高さに突きうごかされて書いたようにも思えますが、この作品の売り上げは、本人の予想に反して最低だったようです。なぜ、感動の作品のすぐあとに、こんな作品を発表してしまったのでしょうか……。
 
 
 ドストエフスキーの作品について考えるさいには、こうしたユーモアと彼の根本の問いがどのようにつながっているのかという点について触れずにすませることはできないでしょう。このブログにおいても、いずれ彼の後期の作品について論じてみたいと思いますが、今日のところは小品の『鰐』について簡潔に紹介するにとどめておくことにします。
 
 
 
ドストエフスキー 鰐
 
 
 
 巨大なワニの見世物を見に行った人びとが引き起こすドタバタ喜劇をテーマとするこの短編については、ストーリーを語りすぎてしまうと魅力が半減してしまうので、ここでは多くを語らないでおくことにします。ただ、一点だけ指摘しておくと、主人公のセミョーンと、巨大ワニに飲みこまれてしまった友人イワンのあいだに繰り広げられるナンセンスそのもののやり取りが、もう抱腹絶倒というくらいに面白い。ドストエフスキーには忘れられないページが数多くありますが、個人的には、人生の最後にドストエフスキーの本のどこか一箇所だけ読めるとしたら、この部分を読みそうな気がします。
 
 
 この作品は、意味のなさが時にとてつもない快感に与えてくれるということを、私たちに教えているように思います。私たちは、生きてゆくことに真面目になりすぎるあまり、しばしば全てのものごとを重く受けとってしまいがちですが、ひょっとすると世界の中心には、純然たる無意味が王座にどっしりと座っているだけなのかもしれない。人間たちがとても重要だと思っていることのすべてが、本当は何一つ意味のない空虚だとしたらどうだろう?
 
 
 こうした問いかけは、実社会のうちではけっして取りあってはもらえないものですが、人間は、無意味の世界を文学のうちで思う存分に花開かせるという、とても知恵のある営みをこれまでずっと続けてきました。意味の世界の重みにどれだけ押しつぶされそうになったとしても、文学のページをめくると、「あくせくしてることの全てには、実は意味なんてないのだ!」という、ふだんは言ってはいけないことがちゃんと書いてあって、とても安心させられます。
 
 
 ドストエフスキーの『鰐』は、『ガルガンチュアとパンダグリュエル』や『トリストラム・シャンディ』、『竹取物語』などと並んで、そういう無意味のパラダイスのひとときを私たちに味わわせてくれる、またとない傑作であるといえそうです。生きてゆくことにちょっと疲れたなと思ったら、秋の夜長に、ぜひ手にとって見てください。文学の魔法で、すべてが吹き飛ぶことと思います。
 
 
 
 
 
 
[『鰐』については、ドストエフスキーの全集にも収録されていますが、『鰐  ドストエフスキー  ユーモア小説集』(講談社学芸文庫、2007年)でも読むことができます。また、ホルヘ・ルイス・ボルヘスが編集している「バベルの図書館」という叢書の『ロシア短篇集』もおすすめです。]
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)