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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

お医者さんに行きたくない気持ち   ーソフォクレス『オイディプス王』と真理への意志

悩める哲学徒、眼医者のもとにゆく 哲学
 
 前の記事で書いたとおり、今週の月曜日に、眼医者さんのところに行ってきました。結論からいうと、今はしばらく様子を見ている状態ですが、とりあえずはひと段落といったところです。ご心配をおかけしてしてしまったとしたら、申し訳ありませんでした!今回の件をとおして考えたことがあるので、これから数回をかけて書いてみることにしたいと思います。
 
 
 僕は遠視なので、もともと目が疲れやすい体質であるということは、前から近所の眼医者さんに言われていたことでした。本を読みすぎたり、パソコンを使いすぎるなどして、定期的にすさまじい眼精疲労に襲われることがたびたびあり、そのたびに「視力が取り返しのつかないことになったらどうしよう……!」と怯える日々を送っていました。
 
 
 今回の場合、それは劇的なしかたでやってきました。記事を書き終わったあとの、先週の月曜日の午後、「ああ、目が疲れたなぁ……。」と思いながら、僕は渋谷駅の通路を歩いていました。そのとき、ちょうど岡本太郎さんの『明日の神話』の前のあたりを通りかかったあたりで、とつぜん左目の眼球が超新星爆発を起こすかのような感覚に襲われました!
 
 
 僕の場合、とくに疲れやすいのが左目のほうです。その左目のうちで、まるで新たな元素を生み出しかねないほどのスーパノヴァ・エクスプロージョンが起こりました。周囲を通りがかっている他の人たちからはわかりませんが、想像を超える、すさまじいエネルギーです!「ぐぐぐ、もうダメだ……。」そのあとすぐに、『明日の神話』の先にある井の頭線改札前あたりで待ち合わせしていたピノコくんに会いましたが、「目が、目がぁ……。」とつぶやきうめくだけの存在になってしまった僕を前にして、きっとピノコくんも戸惑ったにちがいありません。
 
 
 
 超新星爆発 眼科 眼精疲労
 
 
 
 痛みはしだいに軽くはなってゆきましたが、それから五日間ほどのあいだ、鈍痛がつづきました。読書や記事の更新など、ほとんど何もできずに過ごしたこの数日間は、かなり辛いものでした……。アルバイトで文字を見なくてはならないのが、まるで何かの刑罰のような数日です!文字が目を焼く、とでも言えばいいのでしょうか……。こうした日々のうちで体験した心の悩みについては前回の記事で書いたので、ここではこれ以上書かないことにします。
 
 
 これだけ体に不調が出ているのにお医者さんのもとに行きたくないというのは、不思議なものです。けれども、まわりの人びとに聞いてみたところ、同じような心理には、やはりとても多くの人が襲われるようです。僕も、眼医者さんのところに行ったほうがいいことはわかりすぎるほどわかっているのに、「いや。もう少し休めば、行かなくても大丈夫なはずだ」と自分に言い聞かせつづけていました……。
 
 
 大事にせずに済ませたい。行ってしまったら、お医者さんから何を言われるか不安だ。こうした心理についてはさまざまな言い方ができそうですが、ここではやはり、哲学者ふうの言い回しで事態を表現してみたいと思います。すなわち、「真理を知ることへの恐れ」というのがそれです。
 
 
 真理は、世界や人間を照らしだすだけではない。真理とは、本当はもっとずっと恐ろしいもので、下手をすると、それを知った人間を滅ぼしかねないほどのものでもある……。たとえば、古代ギリシャの悲劇などのうちには、こうした真理への畏れの感覚がなまなましく息づいているといえます。お医者さんのところに行きたくない心理も、こうした悲劇の感覚にとても深いところで通じるものがありそうです。とにかく、体調が不調なときに自分の体の真理に正面から向きあうというのは、本当に恐ろしいものです!
 
 
 
 オイディプス 眼科 眼精疲労 真理
(オイディプスとアンティゴネー)
 
 
 
 行きたくない。けれども、こうした言い方をしてしまった時点で、哲学徒としては、これ以上行かないための言い訳をつづけるわけにはゆかなくなってきます。どこからか、声が聞こえてくるような気がします。「ほほう。あなたは曲がりなりにも哲学者であるというのに、真理を知ることが恐くて仕方ないから、そこから逃げるというのですかな?そうやって自分の真理からトンズラしつづけるのが、あなたの生き方というわけですか?」
 
 
 そこまで言われてしまったら、もう黙っているわけにはゆきません!こうなったら、自分の真理を知りに、眼医者さんのもとに行くしかない。ここで思い出されるのは、古代ギリシャを代表する悲劇作家であるソフォクレスの傑作、『オイディプス王』です。主人公のオイディプス王は、自分が破滅することをいとわずに、自らの出生の秘密を求めて、羊飼いの男を問いつめつづけます。オイディプスは劇のクライマックスで、次のように叫びます。
 
 
 「このわしにとっても、聞くもおそろしいこと。それでもわしは、聞かねばならぬ!」
 
 
 ある意味で、プラトンアリストテレスの本以上に、古代ギリシア人たちの真理への意志の力づよさを感じとることのできる一節です。僕も極東の小国に生きる哲学者のはしくれとして、オイディプス王のようにとはいかなくても、できるかぎり自分の真理に向きあわなければならないという気になってきました。
 
 
 ただ、当のオイディプス王は、このセリフを言ったすぐあとに盲目になる運命をたどっているというのが、僕としてはとても気になるところです……。しかし、哲学者として生きたいならば、あらゆる真理への恐れを、勇気をもって克服しなくてはならないのでしょう。そう、たとえ……。め、め、目が見えなくなったとしてもです!ぶるぶる……。
 
 
 時は折しも、ピノコくんが眼精疲労の治療を行っている、評判のよさそうな眼科クリニックを探してくれたところでした。ありがとう、ピノコくん。彼女の気づかいに深く感謝しつつ、二日前の月曜日の朝、とても大きな不安を抱えながら、僕はその眼医者さんのもとに向かいました。
 
 
 (つづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
[『明日の神話』については、以前に記事を書いたことがあります。もしよろしければ、そちらもご覧ください。]
 
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)