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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

おお、マスカルポーネはちみつパン

 
 僕が、自分でも困ったものだと思っている性格の一つとして、「一つのことに夢中になりすぎると、歯止めがきかない」というものがあります。フランスの哲学者であるベルグソンは、考えすぎるあまりに、勉強のしすぎで過労で倒れたことがあるそうですが、こうしたトラブルは、哲学徒にはつきものなのかもしれません。
 
 
 こうした性格は、必ずしも悪いところばかりではないと思うのですが、悪い方向に転んでしまうときに精神的にせっぱつまってしまうことが多いのには、われながら危機感を感じます……。とくに、将来の不安のことを考えて、自分で自分のことを追いこんでしまうときには、魂の状況はまさしく地獄の様相を呈します!
 
 
 自分で自分を滅ぼしてしまう。どうも、哲学や文学を好きな人びとのうちには、こうしたデモーニアックな性質を心のうちに抱えこんでいる人が多いようです。けれども、こんなことでは、ものごとの真理を極めつくした賢者とは言えないのはもちろんです!
 
 
 というわけで、たまにはすべての考えごとや心配ごとを忘れて、平安そのもののひとときを過ごせるように挑戦してみることにしました。朝ごはんの時間を、極上のリフレッシュタイムにするためには、果たしてどうしたらよいか……。そのことについて考えはじめると、ふたたび思いわずらいの地獄に落ちてしまって元も子もないので、ここは何も考えずに食卓につくことにします。
 
 
 もうそろそろ冬もはじまりかけている、まだ暗い朝のうちに、用意した朝食とともにテーブルにつきます。僕が最近はまっているのは、試行錯誤を重ねてみて自分で編みだしたメニュー、「マスカルポーネはちみつパン」です。
 
 
 これは、ライ麦パンにマスカルポーネを塗って、その上にはちみつをかけただけのシンプルなものですが、個人的には、汲めどもつきない味わいをもっている一品だと思っています。哲学や文学、芸術のあらゆる傑作は、「ものごとの真実の完成は、単純な美しさの達成のうちにある」と私たちに語りかけているように思いますが、このマスカルポーネはちみつパンは、最高のマスターピースとは言わないまでも、なかなかいい線を行っているのではないか……。
 
 
 さて、ラグジュアリーな朝のひとときを過ごすためには、他のすべてのものごとについての判断を停止することが必要不可欠です。エポケーの秘儀。今はただ、宇宙を忘却のかなたに置き去って、マスカルポーネはちみつパンだけを味わおうではないか……。おもむろに手にとって、ゆっくりと口に入れます。
 
 
 
マスカルポーネはちみつパン
 
 
 
 口の中に広がってゆく、甘い味わいの世界。このパンの全体にアクセントをつけているのは、パンとはちみつのあいだに挟まれているマスカルポーネです。生乳がもたらすクリーミーな感覚が他の二つのものの中に浸透していって、全体を一つのものにまとめあげます。
 
 
 ライ麦パンとはちみつは、マスカルポーネを通して一つになります。もしもマスカルポーネがなかったとしたら、パンとはちみつが、これほどの調和の極みに達することはなかったでしょう。いわば、うら若い男女を結びつける愛のキューピッドとでもいえるでしょうか。はちみつの甘さはいっそう香ばしく引き立ち、厚切りのライ麦パンのもっちりとした食感は、甘さと溶けあいながら自分の存在感を主張します。
 
 
 このような時には、味覚は音楽の領域にまで近づきます。シューマンピアノ曲のような、甘美な幻想が口のなかで鳴りひびくひととき。日常の生活が、そのまま芸術の次元にまで触れる一瞬です。「何も心配することはない。つまるところ、すべては芸術なのだから……。」なんだか、マスカルポーネはちみつパンがそう呼びかけているような気がしてきます。それにつられて、この日はつい二枚目にまで手を伸ばしてしまいました。
 
 
 食後のコーヒーを流しこんだあとには、朝からだいぶリラックスできたことに気がつきました!この「マスカルポーネはちみつパン」ですが、とても簡単に作れるので、興味がおありならぜひトライしてみてください。
 
 
 
マスカルポーネ はちみつ ライ麦パン