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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

さりげない音楽

この世の片隅をさまよって 本、音楽、映画 音楽について 哲学
 
 確かに、食べることは気分転換にはもってこいであるといえますが、有限な肉体をもっている私たち人間は、四六時中食べているわけにもゆきません……。そんなことをしていれば、またたくまにスーパーメタボリックボディーになってしまいます!もう少し、生活のなかでのリフレッシュの手段を探索してみることにします。
 
 
 一人で部屋にいる夜中に、何か思いわずらうことが出てきてしまったとき、一つの有効な手段は、音楽を聴くことでしょう。それも、何らかのメッセージ性のある音楽よりも、なんの言葉も入っていない、さりげない音楽のほうがよいかもしれません。例として、僕が最近お世話になっている曲を貼っておくことにします。
 
 
 
George Benson/No Sooner Said Than Done
 
 
 
 とろけるようなモチーフからはじまるこの曲は、ヘッドフォンに耳を傾ける人を、どこまでもやさしく包みこんでくれます。たとえ、その時にどんな大きな不安に駆られていたとしても、ギターの音が作りだす平穏が、耳の中でまろやかにふくらんでゆきます。
 
 
 ゆったりとした曲の流れはしだいに速度を増してゆきますが、リラックスした雰囲気を壊さないようにどこまでも繊細な注意が払われているので、安心してそこに身を委ねることができます。心は6分間のあいだに、まるで世界旅行をしているかのような心地よい移動の感覚に浸ります。この曲を聞いていると、僕にはなぜか、アメリカ西海岸の風景が思い浮かんできます。アングラのアーティストたちがのんびりと暮らしているロサンゼルスのような街に、一度はいつか住んでみたいものです……。
 
 
 最後に、音楽は夢のような旅行を終えて、最初のモチーフに戻ってきます。6分間のあいだの、精神のヴァカンス。何もかもを忘れて、あとはゆっくり眠ることができそうです。
 
 
 
ジョージ・ベンソン カリフォルニア
 
 
 
 音楽の好みは、年月とともに変わってゆきます。僕個人の例でいうと、昔は、ロックやヒップホップばかりを聴いていました。今でもそうしたものはたくさん聞きますが、最近では、こうしたさりげない音楽を聴く時間もだんだん増えていっているような気がします。
 
 
 さりげない音楽は、世界のことを変えようとはしません。ただ、この世界そのものも含めて、何もかもがどうでもよくなるところにまで私たちを連れていってくれます。そこは、音が純粋なエレメントになって自由に戯れている、魂のユートピアとでもいうことができるでしょうか。
 
 
 さりげない音楽は、私たちに何も要求したりせずに、ただ旅行の楽しみだけを味わわせてくれます。それにしても、こういう音楽を作ることのできる人たちは、世界や自分の人生について、一体どんな考え方をもっているのでしょうか?できるならば、ぜひとも直接会って話を聞いてみたいところですが、ひょっとすると、彼ら自身と話すよりも、彼らの音楽にじっくりと耳を傾けていたほうが、ずっと伝わることが多いのかもしれません。
 
 
 もしも、さりげない音楽のような哲学を作れるとしたらどうでしょうか。ほかに誰もいない夜中に聴いているときのように、何も思いわずらうことなく、ただ、その時、その場所に鳴り響いているものを穏やかに受けとめるような、そういう生き方を教えてくれる哲学があるとしたなら……。そうした哲学は、この世界のあり方を変えてゆく思想にも、勝るとも劣らない価値をもつことでしょう。
 
 
 
ジョージ・ベンソン ロサンゼルス
 
 
 
 なにか気のきいた結論を出してみたいものだと思っていましたが、なかなかうまい落としどころが見つかりませんでした。さりげない音楽については、最後のところでは、ただそれを味わうしかないのかもしれません。この記事もそろそろ終わりということにして、もう一度この曲をゆっくりと聴いてみることにします。
 
 
 
 
(Photo from Tumblr