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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

生きたい、どうしても

 
 書くことに、だいぶブレが生まれてきています……。一度はすべてのことが落ちついたように思えたので、今回はゆったりとした気持ちで静かに書こうと思っていたのですが、ここ数日のところ、身体上・精神上・社会上の悩みがふたたびマックスに高まっているので、どうもそういうわけにもゆかないようです。ひょっとすると、少しのあいだブログを休むことになるかもしれませんが、少なくとも今回は、神さまについて書いておくことにします。
 
 
 ここで「神」ではなく「神さま」と書くのは、哲学上の概念ではなく、本当に人間のことを救ってくれる存在のことを考えたときには、この表現のほうがしっくりくると思うからです。多くの哲学者たちも指摘しつづけてきたことですが、神の問題は、最後のところでは論理を超えざるをえないのではないかと思います。
 
 
 今の僕は、自分のことを救ってくれる神さまのことを求めずにはいられません。自分のことを離れるにしても、この世には、人間にはどうしようもない苦しみがあまりにも多すぎるし、そのことを考えると、それだけで打ちのめされそうになります。自分の悩みだけで十分すぎるはずなのに、この記事を書いている日の朝は、他の人びとの苦しみを想像して、心が押しつぶされそうになりました。そして、そのあとにはまた別の、自分だけの苦しみが押し寄せてきました。こうなると、もう何がなんだかわかりません。生きることは時に、あまりにも辛すぎるように思います……。
 
 
 生きることは、なぜこんなにも苦しいのでしょう。僕は、三年前に自分が死ぬことが恐くなるまでは、さまざまな悩みはあるけれども、おおむね幸せな人生を送ってきました。それにたいしてこの三年間は、とても楽しいこともたくさんありましたが、その一方では、辛いことのきわめて多い日々でした。もしも、こんなに苦しい日々がこのままずっと続くとするならば、いつか、生きてゆく気力そのものがなくなってしまいそうです……。
 
 
 けれども、もしも神さまがどこかにいるとするなら、苦しむ人間すべてのことを、必ず最後には救ってくれるはずです。このことは、信じることしかできないし、確かな根拠は何もないけれども、僕はそう願わずにはいられません。
 
 
 生きることがどれだけ苦しくなったとしても、それでも、生きたいという気持ちは止められません。僕は今回、一度はすべてを捨てて死んでしまいたいと思いました。けれども、ずっとそう思いつづけることは、どうしてもできませんでした。
 
 
 これこそが人生だというような人生を、なんとかして生きたい。そうでなくてもいいから、ただほんの少しのあいだだけでも、純粋に幸せな時間を過ごしたい。今すぐに書くのをやめて、そのままどこかに出かけていって、何も考えずに思いっきり楽しいことをして、好きな人と楽しい時間を過ごしたい。親しい人たちと人生について真剣に話しあったり、見たことのないものを見たり、おいしいものを食べたり、何でもいいから、命のかぎり生きていたい。
 
 
 最後には神さまがすべてを救ってくれるなら、たとえ何があったとしても、そう願いつづけることができます。僕は、生きることが無条件にすばらしいと言えるためには、神さまの存在が必要なのではないかと思っています。もちろん、だからといって、「さあ、あなたも神さまを信じましょう!」と主張するつもりは全くありません……。くり返しになってしまいますが、何かの参考になれば幸いです。
 
 
 
神さま 生きる 丸ビル ハンバーガー
 
 
 
 今回は、文章も少し(かなり?)乱れてしまい、申し訳ありませんでした……。これから二日間のあいだ、また色々と考えてみることにします。ところで、上の写真は、先週末の夜に東京駅の丸ビルで、助手のピノコくんとハワイアンバーガーを食べたときのものです。その夜にも、生きることはやっぱり少し苦しかったけれど、ハンバーガーはおいしかったし、フレンチフライはやみつきになるくらいだったし、景色はとてもきれいでした。ピノコくん、ありがとう。それから、いつも色んなことをたくさん話してくれて、本当にありがとう。迷惑をかけてごめんなさい。もしよければ、またおいしい夕ごはんを一緒に食べにいってください。