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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

確かに、幸福があった

片隅をもう少し 哲学
 
 もともと、書こうと思っていた別のトピックがあったのですが、今夜は思わぬことがあったので、そのことを書きつけておくことにします。この記事は、明日の朝にアップする予定です。
 
 
 今日の夜、アルバイトで高校一年生の子に『伊勢物語』の「東下り」の部分を教えていたときに、ふと、自分の昔の旅のことを思い出しました。よみがえってきた記憶じたいは、ほんのささいなエピソードにすぎません。それは、数年前に一人で秩父を旅していたとき、夜明けごろに野生の鹿の群れを見たという出来事です。僕の姿を見てそそくさと逃げていった鹿たちの鳴き声が、今でも忘れられません。
 
 
 思い出した瞬間の喜びはそれほどのものではありませんでしたが、アルバイトからの帰りの電車では、その他の無数の記憶までもがあふれるようによみがえってきて、幸福そのものでした!僕はまだ、相変わらずしつこい眼精疲労に悩まされつづけていますが、その時ばかりは眼の疲れもほとんど気にならず、久しぶりに混じり気のない幸せを味わうことができました。
 
 
 ベルグソンは、「記憶は脳髄の中にはなく、精神のうちに永遠に存在している!」という驚くべき学説をとなえましたが、僕はこの説がとても好きです。個人的には、この説はおそらく正しいのではないかと思っています。脳科学者の方たちを説得するのは、かなり難しそうですが……。
 
 
 
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 最近の日々はとても苦しいですが、僕の記憶の中には、あふれるほどの幸福があります。これはおそらく、僕だけではなく、ほとんどすべての人にとって当てはまることなのではないでしょうか。
 
 
 細部がまったく変わらないとしてもそのままもう一度生きなおしたいというくらいの思い出を、数えきれないほど持っているということ。今夜は、現在のことがどうでもよくなるような宝物が自分の心の中にすでにあるということを、あらためて発見することができました。今夜は、もう少しさまざまな出来事の断片を思い出してみることにします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 [この記事を書き終わったあと、なぜか憂鬱な気分になりました。がんばります……。]
 
 
 
(Photo from Tumblr