イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

絶望の体験について

 
 「弱いものたちの思想」。この思想はまずもって、絶望にたいする答えを用意しなければならないと思います。弱い人たちはみな、多かれ少なかれ、絶望によって打ちひしがれることになるからです。
 
 
 絶望の体験については、すでに以前の記事で書きました。状況はさまざまですが、心も身体もどうにもならなくなって、人生が一歩も先に進まなくなるということは、誰にでも起こりえます。僕の場合、今はほんの少しだけ回復しつつあるような気もしはじめていますが、眼が使えなくなることによって、昨年の終わりには絶望を体験しました。
 
 
 僕は、3年ほど前から、死の不安によって悩まされることが多くなりました。ひどい場合には、セミの鳴き声が「死ね死ね死ね……。」と言っているように聞こえたり、ノイローゼぎみになって夕ご飯がビスケット一枚しか食べられずにやせ細るなど、いろいろありました。
 
 
 そうした時も辛かったですが、昨年末には「このまま、何ひとつできないまま死ぬかもしれない」という現実を叩きつけられ、文字どおりすべての望みが絶たれました。身体が動かないというのは、もうどうしようもありません!
 
 
ビスケット 弱いものたちの思想 絶望 希望 みはし あんみつ
 
 
 けれども、その数ヶ月にいろいろな人と話してみて、僕と同じような絶望の体験をしたことのある人は、けっして少なくないことを学びました。僕よりも大変な状況にある人はいくらでもいるので、今でも辛くないことはないですが、自分の苦しみを特権視しないように気をつけなくてはなりません……。
 
 
 暗くなってしまい、申し訳ありません……。僕の場合には、上の写真にあるように、有名店『みはし』の白玉クリームあんみつをピノコくんと食べにゆくくらいには回復したので、たぶん、しばらくのところは大丈夫そうです!
 
 
 今は、自分にできるかぎり、絶望している人がふたたび希望を持てるような思想を追いもとめたいと思っています。「弱いものたちの思想は、絶望にたいする答えを見つける必要がある。」とりあえず、このことを今日の結論にしておくことにします。