イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

僕自身の弱さ

 
 今日は、僕自身の弱さについて書いておくことにします。
 
 
 ここ数回は哲学の言葉で記事を書いていて、「久しぶりに、哲学に真剣に向きあおう!」という気になっていました。今のうちに、自分の哲学といえるものを残しておこうとも思いました。
 
 
 ところが、ここのところ二日つづけて大学を受験する夢を見て、すべてが崩れてしまいました。今までにも、そういう夢を見ることはたまにあって、それほど衝撃はなかったのですが、今回は、いつもとは全然違っていました。
 
 
 一日目には夢のなかで、「このままだと、近いうちに死ぬかもしれない」と思った記憶があります。二日目には、夜中に目が覚めたとき、自分がひどくみじめな人間であるような気がしました。そして、「哲学の言葉で語るのは、やめておいた方がいいかもしれない」と思い、今に至っています。
 
 
 僕には、自分に自信をもてるものとしては、学問の知識と哲学の言葉で考えることしかないのではないかと思います。けれども、今は、それすらも使えないようです。理由ははっきりとはわかりませんが、これに無理に逆らうと、命が危ない気がします。
 
 
 先週の木曜日にも、死んだ人に会う夢を見ました。最近では、なるべくネガティブにならないようにはしていますが、自分の人生のすべてが無意味なのではないかと思わないで過ごせる日はありません。無理はせず、ゆっくり過ごそうと思います。
 
 
 
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 それでも、僕には言葉しかありません。学問の言葉は使えないとしても、思想だけはあきらめたくない。この世に生きていることの意味を書くことで追い求めたいという望みだけは、生きているかぎりは消えることはないと思います。
 
 
 それから、イエス・キリスト。聖書という本が持っている力には、毎日驚かされるばかりです。この本のおかげで、希望が完全に消えることはありません。明るい未来はまったく見えませんが、読んでいると、あきらめずに生きなければという思いを与えてくれます。
 
 
 「もう生きていたくない」「生きたい」「ただ生きている」「いつ死ぬのか」「もう死ぬのではないか」「まだ命はある」「何があっても、最後まで生きていたい」。しばらく、こうした言葉のあいだでもがきつづけてみます。