ここのところ、少し話が逸れましたが、そろそろ「弱いものの思想」に戻ろうと思います。後半は、いきなり本題から入ることにさせてください。
死にさらされている弱いものたちに必要なのは、無条件の愛、限界のない愛なのではないか。それは、絶望や死からも一気に身を引き離させるような、絶対的な愛です。
この愛は、何かをしたから与えられるというものではありません。ただもう、生きているというだけで、この世に生まれてきたというだけで降り注がれる、何の見返りも求めない愛です。
人間には、この愛の存在が不可解なものにしか思えません。「わたしは何もしていないし、愛してもらえるような何物をも持っていないのに、なぜこんな……。」
けれども、この愛は、人間のあらゆる疑問にもかかわらず贈られます。受けとることを拒否することはできますが、けっして消えることはありません。
「ただ愛されている。どんな時でも、誰かがわたしのことを、愛して愛して、愛しつくしている。」このことに本当に気づくなら、人生のあらゆる問題は一瞬で消え去ってしまうかもしれません。今の僕にはまだ、そこまでゆくことはできなさそうですが……。
もちろん、哲学には、「このような愛が存在する」と証明することは決してできないでしょう。けれども、哲学には、「弱いものたちには、このような愛が必要である」ということを示すことができるのではないかと思います。
「人間には、絶対的な愛が必要である。」弱さと絶望、死の分析は、こうした地点へとひとを導くのではないか。荒削りなスケッチになってしまいましたが、これが、弱いものの思想が向かう方向であるように思われます。
最後に、一点だけつけくわえさせてください。僕は、哲学者ではなくひとりの弱い人間として、神の存在を信じています。「神が、わたしたちのひとりひとりの人間を愛している。」このことについては、それぞれの人間が信じるか信じないかの自由をもつことは、いうまでもありません。この問題について考えるうえで参考になれば幸いです。