イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

弱いものに愛を

 
 今回で『弱さと神の問い』はひと区切りということにしたいと思いますが、最後に、問いかけをはじめたところに立ちもどってみることにします。
 
 
 「弱いものたちが生きてゆくためには、何が必要だろうか。」何もできないこと、この世の中でなすすべがないこと。弱さは、ひとを絶望と死の次元にさらします。本当に弱い人には、すでに、いくぶんか死んでいるようなところがある。
 
 
 僕は哲学者として、自分が弱いということを知っているものには、神という答えがありうるのだと主張したいと思います。
 
 
 「神が存在する。神は、無条件で私たちのひとりひとりを愛している。」この命題は証明されることはないかもしれませんが、この命題が真であることを痛切に必要としている人は、思っているよりもずっと多いのではないか。
 
 
 僕は、ひとを最後のところで魂の苦しみから救うことができるのは、やはり神なのではないかと考えています。それは、人間にはこの世を超える愛の存在が必要なはずだと思うからです。
 
 
 この世には、数えきれないほどの喜びがあるのと同時に、人間の力だけではどうしようもないほどの苦しみと痛みがあります。「わたしが幼いころに見ていた世界は、世界の本当の姿ではなかった。」この世には、誰もが恐ろしくて逃げだしたくなるほどの闇が存在しています。
 
 
 
 弱さと神の問い 苦しみ 神 愛
 
 
 
 この世は、どれだけあっても足りないというくらいに愛を必要としています。「弱いものたちに必要なものは、愛である。」本当は、弱くない人などは一人もいないのではないか。
 
 
 僕がいま書いたり考えたりしていることは、何もならないまま終わってしまうかもしれない。そして、哲学がこの世に働きかけられることは、ほとんど無にも等しいものかもしれません。けれども、神の問いは、この世のうちにもっと愛がゆきわたることに向かって呼びかけることくらいはできそうです。こののちも、できる限りのことを尽くしたいと思います。
 
 
 今回のシリーズを読んでいただいて、本当にありがとうございました。記事を読んでくださる人がいなければ、この現代に神について哲学の視点から書くというのは、ほとんど勇気すらも湧いてこなかったのではないかと思います。神については、これから先も問いかけをつづけてゆきたいと思いますが、もしよろしければ、お時間のある時によろしくお願いいたします。