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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

哲学の原罪

 
 今日は、「哲学の原罪」という概念を提出したいと思います。結論から先に述べるかたちになってしまいますが、のちに少しずつ議論を補足してゆくことにします。
 
 
 哲学的思考はその本性からいって、神の存在の可能性を消し去ってしまおうとする傾向を抱えています。この傾向のことを、哲学がその原初から背負っている罪であるという風に表現することができるのではないか。
 
 
 「神は生きている」という可能性は、けっして理性には反していませんし、自然科学の成果ともまったく矛盾しません。けれども、神は理性に反しているわけではないとしても、理性を超えた存在です。哲学的思考は、こういった存在とはまことに相性が悪いといわざるをえません。
 
 
 哲学者は、もしも神に出会うことがあったとしたら、次のように言うかもしれません。
 
 
 「神よ、ずるいではないですか!私はこれまで、生涯をかけてずっと考えつづけてきました。あなたが存在することは、けっして理性によっては証明することができません!
 
 
 だから、私があなたのことを考えなかったとしても、無理はないではないですか。こんなことだったら、先にあなたが存在するということを、人間たちに教えてくれていたらよかったのに……。」
 
 
 
神 原罪 哲学 理性
 
 
 
 神にかわって語るというのはちょっと不遜かもしれませんが、神は、ひょっとしたら次のように答えるかもしれません。
 
 
 「哲学者よ、どうしてわたしがお前に、前もって自分の存在を教える必要があるのか。教えるか教えないかは、わたしの自由ではないか。
 
 
 それに、わたしが存在するという可能性だって、お前には考えることができたはずなのだ。お前は考えられなかったのではない。考えたくなかったのだ。お前は自分の頭がいいということに、こだわりすぎたのだよ。」
 
 
 最後に、ほんの冗談ではありますが、一言だけ付け加えさせてください。神が次のように言うという可能性も、論理的にはゼロではありません。
 
 
 「それに、お前はわたしが自分のことを人間たちに教えなかったというが、それは間違っているよ。ほら、あの人たちを見なさい。聖書を読んでいるではないか。」