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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

デカルトと近世

 
 二人目に例に挙げたいのは、近世という時代を生きたデカルトです。
 
 
 デカルトが生きたのは、人類の理性が若々しい目覚めを経験していたころです。当時のヨーロッパの人びとは、数学と実験によって自然の世界を理解することができるという発見に、胸をおどらせていたところでした。
 
 
 デカルトは、そうした時代のみずみずしい空気をすがすがしく呼吸しながら、みずからの人間性をつくりあげていった人でした。どこまでも勇ましく歩まれ、認識の勝利の輝きに満ちている彼の生涯をたどっていると、こちらまで身を引きしめられるような思いがします。
 
 
 彼の哲学は、中世の哲学者たちなら揃って眉をひそめるであろうというほどにシンプルなものでした。けれども、その切りつめられた簡潔さのうちに、他の人にはけっして真似できない、彼の知性の完成が宿っています。
 
 
 
デカルト 理性 近世 省察
 
 
 
 中世のスコラ哲学はきめ細やかな織物のような美しさをそなえていて、触れるものを飽きさせることがありません。けれども、ほとんど鋭利な剣のようにして私たちの目の前にあらわれる、デカルトの哲学のあの閃光のようなきらめきもまた、それに劣らずすばらしいものです。
 
 
 哲学の真理がまるで数学の方程式のように見いだされるところを見たいなら、かれの『省察』のページをめくるのがよいでしょう。そこでは、黎明期の自然科学と双子のようにして生まれ出ることになった、新たな哲学のスタイルの自己表明が行われています。
 
 
 そこでは、すべての判断がきわめて短い時間のうちに、断固とした決意とともに次々と下されてゆきます。中世の思考は、古代の哲学者たちとの対話の中からじっくりと紡ぎ出されたものでしたが、『省察』の筆者は、自らの思考の働きのみにしたがって、自我や神、物体といったものの存在を明晰かつ判明に論証してゆきます。
 
 
 部屋の中での内省が、世界を変える。私たちの時代を創りだすもととなった思索は、炉端にたたずみながら考えごとにふけっている、一人の人間の頭の中から生まれたのでした。