ソクラテスやデカルトの場合には、私たちは、明確な輪郭をもった一人の人間に向きあっているという印象を受けます。彼らの言葉からは、たんなる抽象的な論理のたてる無機質な機械音ではなく、一人の人から発される思考の息づかいのようなものが聞こえてきます。
それにたいして、ヘーゲルの書物をめくる人の耳に聞こえてくるのは、壮大なスケールをもって響きわたる、無数のどよめきです。人類がヘーゲルの時代である近代にいたるまでに経験してきた目もくらむようなドラマのすべてが、うねるように現れては消えてゆく。
この点からすると、彼の最高傑作は後期の体系よりも、やはり30代なかばの『精神現象学』であるといえるのではないか。じっさい、ヘーゲルの仕事に敬意を払ってやまない哲学者たちのほとんどが、何よりもまず『精神現象学』の名をあげています。
さて、ヘーゲルが生きた時代は、人類が自分たちの達成したことに最も大きな誇りを感じることのできた、とても幸福な時期でした。フランスで起こった革命は最後には悲惨な結末を迎えましたが、それでも当時の人びとの多くが、「人類の歴史は進歩している!」という確信を持つことができた。
こうした時代を生きたヘーゲルは、自ら語るのではなく、人類の歴史そのものに真理を語らせるという、未曾有の哲学のスタイルを打ち立てました。
僕は個人的には、全体としてみるとヘーゲルよりもほぼ同時代を生きたカントの哲学のほうがこの世の真実に近いのではないかと考えています。それでも、近代という時代にヨーロッパの民衆が感じていた熱狂が、ヘーゲルという人のうちに最もよく体現されていることに変わりはありません。この人こそは、マルチチュードの哲学者と呼ぶにふさわしいといえるのではないでしょうか。