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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

誰も、無になることには耐えられないはず

 
 「ひとは、死んだら無になるのか。」この問いについて考えるためには、人間についての実際の観察が役に立つかもしれません。
 
 
 「死んだらすべて終わりだ」と考えている人の数は多いですが、僕のこれまでの体験からすると、そういう人の中でふだんから死のことを意識している人は、ほとんどゼロに近いのではないかと思います。
 
 
 自分がいずれ跡形もなく消滅することをたえず自覚しながら生きているという人は、はたして存在するのでしょうか。もしいるとすれば、ぜひともその人の話を聞いてみたいところです。ちょっと恐ろしいような気もしますが……。
 
 
 しかし、いま書いたような例外的な超人のことは、とりあえず置いておくことにしましょう。このような人の心の強さは、ふつうの人間のレヴェルをはるかに超越しています。いつの日か、そういう人が思想家として世に現れるのを待つことにします。
 
 
 通常の場合の話に戻ります。どこまでも真剣に考えたときには、人間は、いつの日か自分が完全な無になるということには耐えられないのではないでしょうか。
 
 
 
無 死 哲学
 
 
 
 ところで、死の問題について考えるのが難しいのは、答えを知っている人間がこの世には一人もいないので、自分の考えるところを手探りで書いてゆくしかないところです。
 
 
 通常は、こういうタイプの問いは哲学にはそぐわないものとされがちですが、死のことが話題となると、そうとばかりも言っていられません。この問いはある意味で、生きてゆくうえで最も重要な問いだからです。
 
 
 したがって、ここでも自分がこれまでの人生で体験してきたことにもとづいて判断してゆくしかなさそうです。とりあえずのところは、「ひとは、自分が無になることには耐えられない」という結論を下しておくことにしましょう。
 
 
 何ともあやふやな議論の進め方ですが、死の領域は本質的にいって、誰も足を踏み入れたがらない暗がりの広がる場所です。私たちとしては、この暗黒の洞窟の中を一歩一歩進んでゆくことにします。