イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

思考の迷宮

 
 発散のフェーズと、信仰のフェーズ。この二つのフェーズがいかなる思考においても避けられないものであることを示すことで、とりあえず、神の存在を信じるということの位置づけは完了しました。
 
 
 ようやく神が存在することを前提として語ることができるようになったので(証明できたわけではありませんが)、少しほっとしています。それと同時に、自分の哲学の立ち位置についても一応のところは釈明できるようになったのではないかという気がしています。
 
 
 僕の哲学は、ほとんどそのすべてが、生きている神のまわりをめぐることになりそうです。そのため、「あなたの哲学は、信仰者以外には関わりを持たないものなのではないか」という疑問にたいしては、きちんと答えなくてはならないとずっと思っていたところでした。
 
 
 今なら、今回の探求をとおして、次のように答えることができます。「不確定性から信仰へという移行は、僕だけではなく、すべての哲学に共通するモメントであるといえそうです。
 
 
 そうなると、生きている神の存在にもとづく世界モデルも、根源的不確定性から発散するさまざまな真理のうちの一つであるということになる。おそらくは、僕自身のものをも含めたすべての探求は、不確定性の形而上学という一つの巨大な迷宮を作りあげているということになるでしょう。」
 
 
 
神 証明 不確定性 信仰 思考の迷宮
 
 
 
 このように考えてみると、不確定性の形而上学なるものは、無限数の世界モデルを潜在的に内包しているということになってきそうです。
 
 
 このモデルのうちには、すでに歴史上の誰かが考えたものもあれば、未来の誰かがいずれ構想することになるものもある。中には、過去・現在・未来を通じて、およそ人間には考えつくこともできないような、突拍子もないモデルも含まれていることでしょう。もちろん、僕自身がこれからの人生において組みあげてゆくモデルも、この迷宮のうちの一つの小部屋にすぎないということになります。
 
 
 それはまさしく、思考が織りなす無限の宇宙です。「あらゆる哲学がそこにある。」無限に発散する、人間が発狂しかねないほどの真理の迷宮。この迷宮自体は、一体なぜ存在するのでしょうか……。
 
 
 とても興味深い問いではありますが、この問いに答えることは、いずれまた別の機会に譲ることにしましょう。思考の迷宮を一瞬だけかいま見たということで、今回は満足しておくことにします。