「自分自身の利益と安全のためにも、倫理法則を受け入れるべきである。」この第一の論には小さくない利点もありますが、無視できない欠陥もあることがすぐに明らかになります。
仮に、社会を構成するメンバーの全員がこの論を受け入れたとしてみましょう。このメンバーのうちに、悪魔が入りこんでいたとしたらどうでしょうか。
悪魔はおそらく、こう考えるはずです。「他の人間たちは、他者に害を加えないという原則に納得した。これで、わたしに害が加えられないことは、無事に保証されたというわけだ。」
「わたしはこれからも、表向きはこの論に心から納得したふりをしつづけよう。そして、隠れて悪を行ってやる。ばれなければ、何をしても大丈夫なのだから。」
「なに、どうせ他の人間たちも、自分の身がかわいいから倫理法則を受け入れているだけなのだ。わたしだってもちろん、自分の身はかわいい。おお、何よりもかわいいとも!」
「だが、わたしは他の人間のことなんて、一ミリも気にかけてやるものか。わたしはわたしなりに、この世の楽しみを安全に追いもとめることにしよう。おっと、倫理を受け入れているふりをすることだけは、忘れないようにしなくては!」
もちろん、これは思考実験にすぎませんが、僕は率直に言って、こういう考え方をしている人がもしいるとすれば、かれと友人になることはなるべく避けたいと思います。われらを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。悪魔には、出会わないに越したことはありません……。
けれども、この論では、これに近い考え方をする人が出てくることは避けられなさそうですし、何よりも、あの悪魔の言葉が気になるところです。「どうせ他の人間も、自分の身がかわいいから倫理法則を受け入れているだけなのだ。」
悪魔にこう言われると、なんだか、私たちもかれとあまり変わらないような気がしています。「そうだよ。わたしは偽善的な君たちよりも、ただ正直なだけなのだ。君たちはやらないが、わたしはやるぞ。徹底的にやるぞ!」
ここまで言われてしまうと、私たちとしても、このまま黙っているわけにはゆきません。すぐにも反論に移りたいところですが、その前に、別のトピックについても見ておくことにします。