イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

危険な国

 
 「自分自身の安全と利益のためにも、倫理法則を受け入れるべきである。」もしも人間がこのロジックだけでゆこうとすると、欠陥は、より大きなスケールで現れてこざるをえないように思われます。
 
 
 いま、ある国の指導者が国民たちに向けて、こう宣言するとします。
 
 
 「私たちはこれから、自国民の安全と利益のみを求めることにする。本当はそんなことはしたくないが、世界経済と国際情勢からして、どうもそれ以外に道はない。」
 
 
 「私たち自身の安全については、もちろん、国民が互いに害を加えあわないというルールをこれからも守りつづけることにする。これまで以上に医療と福祉も安定させ、貧困対策もしっかり行う!」
 
 
 「ただ、私たちとしてはもはや、他の国々のことは知ったことではない。世界の歴史とは、民族の闘争の歴史にほかならない。優れた民族が生き残り、劣った民族が滅びるのは、悲しいとはいえ、もはや仕方のないことなのだ。」
 
 
 「とうぜん、移民は排斥しよう。場合によっては、国連も脱退だ。必要ならば戦争を起こさざるをえないかもしれないと、今のうちにはっきり言っておく。しかし、私は栄誉ある戦死をのぞいて、自国民を一人たりとも飢えさせず、失業もさせないと約束する!」
 
 
 「私たちの国の文化はすばらしい。国民の心情はすばらしい。私たちは、国民みなで幸せを目指すべきだ。来るべき戦争にさえ打ち勝つならば、私たちの国には、きっとすばらしい未来が待っているはずだ……。」
 
 
 
倫理法則 悪魔のエゴイズム 権力
 
 
 
 この指導者の論理は、前回に取りあげた悪魔のエゴイズムを、国民全体のスケールに引きのばしたものにすぎないことがわかります。彼がこのまま権力の座にとどまりつづけるならば、いずれ世界は困った事態に直面することになりそうです。
 
 
 問題なのは、悪魔が言っていたのとまったく同じことを、この危険な国の指導者にも言われてしまう可能性があることです。
 
 
 「君たち他国民だって、本当は自分たちの身がかわいいだけだろう。君たちの国は豊かだから、いい国のふりをしていられるだけだ。その豊かさだって、どこから出てきたものか知れたものではないではないか。」
 
 
 「わたしの方が、君たちよりもはるかに正直なだけだとは言えないかね。わたしは他国民を犠牲にしてでも、自国民を守る。愛する自国民を、命をかけて守る!」
 
 
 今回の探求では詳しく検討することはしませんが、倫理法則の根拠についての問いかけが世界平和に直結していることが、ここからもわかります。どうやら、利益のための倫理というイデーは、人間の社会にそのまま適用しようとすると、決定的なアポリアに陥ることは避けられないようです。