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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

平和だったはずが……。

倫理の根源へ 哲学
 
 誰もが自分の生活の安定しか考えていないけれどもとても住みやすい、「平和ないい国」。あの悪魔であればこの国について、次のように言うかもしれません。
 
 
 「すばらしい国に見えるが、わたしにはわかる。この国の人びとは、根本のところでは、わたしの同類だ!」
 
 
 「みんな、本当は自分のことしか考えていない。年金や雇用、それに景気のことをこんなに気にしているのは、わが身のことが心配だからで、誰も他人のことなんて、これっぽっちも気にしてはいないのだ。いや、けっこうけっこう!」
 
 
 「しかし、このままではどうにも、刺激が足りないところだ。試しに、国中を大不況にでも陥れてみたらどうだろう。」
 
 
 「彼らはきっと、焦るだろう。必死で生き残ろうとするだろうな。そして、ついには、外国を踏み台にしてでも、自国を成長させようとするに違いないのだ。」
 
 
 「だんだん、モラルに歪みが出てくる。当然だ。本当は、そんなものは最初からなかったのだ。最後には、国全体がエゴイズムのかたまりになる。平和だったはずのこの国は、驚くほどのスピードで、平気で他国を踏みにじる国になるだろう!」
 
 
 
平和ないい国 インモラル エゴイズム 年金 雇用 経済成長
 
 
 
 この悪魔の言うとおり、「平和ないい国」と、その前に扱った「危険な国」とのあいだの距離は、実はそれほど遠くはないのかもしれません。国民を動かしているのが自分たちの利益である以上、人びとがインモラルになってゆくのに歯止めをかける要素は存在しないからです。
 
 
 「とにかく、何があっても景気を最優先しよう!」こうしたフレーズが国の中で支配的になってしまったら、すでに信号は黄色になっているのかもしれません。どこかの時点で、「何をしてでも経済成長をキープしなければ」という考え方のもと、してはいけないことに手を出してしまいかねないでしょうから……。
 
 
 しかし、幸いなことに、この「平和ないい国」はもちろん、頭の中の想像にすぎないわけですから、それほど真剣に思いわずらうこともないかもしれません。私たちとしては、「場合によっては、そういう危険のある国もあるかもしれない」と思っておけばよいのではないかと思われます。
 
 
 ともあれ、第一のアプローチの欠陥が、いよいよ明らかになってしまいました。私たちはこれから、次の論に移ることにしましょう。