イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

悪夢よ、パロディーよ

 
 若者がひとたび愛しい彼女にぞっこんになってしまうならば、もう、ほかの誰の言葉もかれの耳には響きません。
 
 
 それというのも、かれの無意識の心は、彼女への偶像崇拝の熱情によって支配されているからです。黒い髪の悪魔は、すでにかれの主権を完全に掌握してしまいました。
 
 
 ものを言うこの偶像は、いまやかれに次のように命じます。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」
 
 
 信仰者の目から見るならば、まさしく悪夢のようなパロディーでしかありませんが、恋する若者には、これこそが自分に永遠の命をもたらしてくれる言葉のように聞こえています。屠られてゆく子羊ほどに悲しいものはありません。
 
 
 若者は、自分はついに真理そのものを見つけたのだと思い、狂喜します。「僕はもう、自分の悟りにより頼むようなことはすまい。僕が歩むのは、悟りの道ではなく、救いの道だ。」
 
 
 「救いは自己性からではなく、他者性からくるのだ。僕はもう、これからは彼女にすべて聞き従おう。これこそが、僕の追いもとめるべき信仰なのだ。」
 
 
 
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 実は、これは恋愛の領域に限ったことではありませんが、悪魔的なものは、真理そのものにそっくりなパロディーとして人間の前に現れるということには、おそらく、どれほど注意してもしすぎるということはありません。
 
 
 それにしても若者よ、きみの哲学はどこに行ってしまったのか。きみは今まで、あんなに熱心に本を読みあさり、知恵を追いもとめてやまなかったではないか。
 
 
 「あれは、彼女に出会うための梯子にすぎませんでした。梯子をのぼりきった者は、梯子を投げすててしまわなければなりません。」
 
 
 なんということだ。それでは、きみの芸術は。きみの探しもとめていた永遠なる美は、一体どうなってしまったのか。
 
 
 「何を愚かなことを言っているのですか。芸術は、実体をうつし出す影のようなものにすぎません。彼女の瞳を見れば、すべてがわかります。」
 
 
 なるほど。それではもう、何も言うまい。わたしはきみの美しい夢の結末がどんなものになるか、このまま見守らせてもらうことにしよう。