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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

失敗する運命だったのかもしれない

 
 「ファム・ファタルではなく、賢者に憧れればよかったのに。」しかし、考えてみるならば、青春に向かって大手を切って進んで行く若者にこのことを期待するのは、いささか無理があるというものかもしれません。
 
 
 どうも、私たちの人生は、自分で失敗してみなければ学ぶことができないという、私たち自身にとってはとても苦い構造を抱えているようです。このブログの筆者も、これまで失敗に失敗を重ねつづけてきましたが、これから先にどんな失敗がさらに待っているのかと思うと、暗澹たる思いに捉われざるをえません……。
 
 
 ともあれ、本題に戻ります。この場合、うら若い青年にいったい何ができるというのでしょうか。
 
 
 一方には、真理を体現する賢者がいます。確かに、かれのうちには本物の知恵と自由が宿っていますが、そういうものの価値が遠くからでもわかるようになるためには、すでにかなりのところまで、自分で探求を進めている必要がある。
 
 
 その一方で、ファム・ファタルはといえば、若者にはとうてい抗うことのできない魅力を放っています。この世で何が目を引くといって、うら若い乙女の容姿に勝るものはありませんから……。
 
 
 
ファム・ファタル 賢者 悪魔 乙女
 
 
 
 要するに、賢者は目立ちませんが、ファム・ファタルは妖しい魅惑をそこら中に振りまいています。さらには、賢者は若者が自分から探し求めないと出会うことができませんが、ファム・ファタルの方は、つねに自分の餌食になる青年を探しているときています。
 
 
 つまりは、普通に考えて、若者が悪魔的な女性に一度はしてやられる確率というのは、きわめて高いと言わざるをえないようです。一度ですむならばまだましな方で、二度も三度もいっぱい食わされるというケースも、けっして少なくないようですが……。
 
 
 最強のファム・ファタルともなると、男性たちがまるで列でも作ったかのように次々と彼女に向かってゆき、一人残らず破滅に向かって突き進んでゆくほどだといいます。上には上がいるというべきでしょうか。
 
 
 そういうわけで、若者よ。きみが今、必死になって自分の墓穴を掘っているのも、仕方がないというものかもしれません。
 
 
 ただ、すべてのことが終わって、もう一度気力を取り戻したら、今度こそは本当に賢い人を探し求めてほしい。数は少ないけれども、そういう人はきっといるはずです。かれは君を、君の魂が本当に必要としているものへと導いてくれることでしょう。