イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

かれは真剣だった

 
 失恋の苦しみは、時に耐えられないと思われるほどに大きなものになりえます。しかし、この苦しみの体験が、信仰へのまたとない準備という側面をかんがみるとき、信仰者は、人生というものへの驚異の念にとらえられずにはいられません。
 
 
 「完璧なあなた」、あるいは絶対者の理念は恋する若者にたいして、取り返しのつかないほどの傷を残しました。かれはおそらく、もうそれまでの生き方をつづけているだけでは、生きていることの意味を感じることができなくなってしまいました。
 
 
 失恋の体験は、人間をみずからの本来性に向かわせる特別な出来事です。後になってしまえば、それは確かに若いころのエピソードにすぎないものへと変化してしまいますが、若者たちはこの体験のうちで、真剣に生きることの意味の問いに向きあいます。
 
 
 「あの人がいなければ、生きている意味なんてない。」若者はのちに、本気でそう考えていた当時の自分のことを思い出して、恥ずかしいような懐かしいような、妙な気持ちにとらえられることになるでしょう。かれはひょっとすると、「恋愛の問題くらいで生きるだの死ぬだの言って、あの時は気楽なものだった」と思うかもしれません。
 
 
 けれども、かれが人生のある時期に、本当にそう思うくらいの恋をしたというのも事実です。かれは真剣でした。そこには、確かに人生がありました。
 
 
 
完璧なあなた 失恋 信仰者 哲学者 芸術家
 
 
 
 おそらく、恋をするというのは、人生の中でも他にかけがえがないほどに貴重なことです。そして、この体験は、そののちの人生にも見えないところでとても大きな影響を及ぼすものであるといえる。
 
 
 失恋ののち、ある人は哲学者になり、また別のある人は芸術家になります。恋をするというのは、たとえその時期には相手が世界のすべてであるとしか思えないにせよ、本人の知らないところで、その人がのちに歩んでゆく大きな道のりにつながっています。
 
 
 誰かのことを本気で好きになったことが、そののちの自分のあり方を深いところで作りあげてゆく。若者は、彼女に捨てられた今はもう死んでしまいたいと思うほどに苦しんでいますが、いずれ後には、その時期のことで、自分の人生に深く感謝するようになるでしょう。