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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

真理はお金にまさる

 
 哲学的な思惟なるものは、個人的なディテールを離陸して、普遍的なイデーの大空へと羽ばたいてゆきます。お金という目下のトピックについても、時代と場所を離れた永遠の真理をめざして考えるべきであるように思われます。
 
 
 さて、いささか月並みなものに見えるとはいえ、まずは次のような格率を提示しておくことにします。すなわち、「哲学者は、金銭よりも真理そのもののことを何よりも優先して生きるべきである。」
 
 
 哲学者にとっては当たり前なものに見えるこの格率は、いざ実際にそれを実行できているかということになると、とたんにそのラディカルさが際立ってきます。
 
 
 就職、アルバイト、奨学金、論文の業績、学会での発表、本の執筆etc。この国で哲学の道を志そうとする場合にも、この世からのプレッシャーは、たとえどんな道を歩むとしても、たえず押し寄せてくると言わざるをえません。
 
 
 こうしたすべての圧力を断固としてはねのけつつ、永遠の真理だけをめざして生きつづけることができるのか。
 
 
 ひとつだけ確かなのは、ソクラテスアウグスティヌスキルケゴールをはじめとして、この世のあらゆる力にわき目もふらずに走りつづけた人たちは、数は少ないにしていくぶんかはいた、ということです。そして、哲学という営みは、こうした人たちの努力からかぎりない豊かさを受け取りつづけてきました。
 
 
 
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 イデア的なものへの飽くなき憧れによって導かれる哲学という営みは、おそらくその本性からいって、この世に属さないところがあります。この世には、天をめざして生きる人間のための場所はありません。
 
 
 「そんなことやって、何になるの。」何になるとか、そういうことではないんだ。真理そのものは、この世のどんなものよりも美しいんだ。
 
 
 「ちゃんと役に立つところを強調しないと、社会からお金ももらえないよ。もっとこう、国際コミュニケーションとかグローバル・スタディーズとか、そういう枠に落としこまないと……。」
 
 
 そうかもしれない。しかし、この世には、もう絶望的なものほどに不器用な人間というものもまた、存在するのだ。僕はここのところになってはじめて、自分がそういう人間の一人だということを自覚したのだが、どうやら、あまりにも遅すぎた……。
 
 
 ともあれ、哲学的思惟とこの世、イデアと現象界のあいだには、緊張がつねに存在しているのは確かです。ここには、いつの世になっても変わらない永遠の戦いがあるといえます。