イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

「黒い平成」

 
 万人の万人による闘争が日夜行われている、地獄の都市バビロン。この都市について考えるにあたって、いったん冷静になって、次の一つの論点を提出しておくのが適当かと思われます。
 
 
 その論点とは、「バビロン性の濃度不確定性問題」とでも呼びうる問題にほかなりません。
 
 
 たとえば、戦後のCIAと日本をめぐる関係については、近年になって次々と新しい資料が公開されていることもあり、かなりのことが客観的にも明らかになりつつあります。この例にかぎらず、昭和という時代については、私たちは、図書館にゆけばすさまじい量のどす黒い事実を手軽に学ぶことができます。
 
 
 それでは、この平成という時代はどうでしょうか?
 
 
 おそらく、人間の本性はそう簡単に変わらないので、「昭和はイカ墨パスタよりもどす黒かったけれど、なぜか平成になったらすべてが突然にクリーンになりました!」というわけにはゆかないでしょう。けれども、どの領域でどのくらい黒いかということになると、私たち一般市民にはよくわかりません。各界の内部関係者にしか知られていないことがどれくらいあるのか、私たちがすべてを知ることは不可能です。
 
 
 
バビロン 昭和 平成 東京 試み
 
 
 
 つまり、たとえば2016年の東京がバビロン性とでも呼びうる性質を帯びているとしても、そのバビロン性の濃度を正確に測定することは誰にもできないということになりそうです。
 
 
 この点については、各人が曇りなき眼で見渡すことしかできないのかもしれません。あまりにも巨大な闇を見つけてしまうと、その人自身が闇に消えてしまうかもしれないので、身の安全にはくれぐれも気をつけておく必要があるかもしれませんが……。
 
 
 「われらを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。」キリスト者の唱える主の祈りの中のこの言葉も、バビロン性について考えはじめると途端にリアルになってきます。黒いものには、巻きこまれないに越したことはありません!
 
 
 いずれにせよ、「BLACK HEISEI」の問題はとても興味深いのですが、私たちの目的は哲学的探求を行うことにあるので、このあたりで本題に立ち戻ることにしましょう。