イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

帝国と政治

 
 ネグリとハートにならって、今日のグローバルな秩序をひとつの帝国としてみることにすると、私たちは、その帝国の中心部に住んでいるといえます。中心部ではおおむねのところ、リベラル・デモクラシーと快適な消費生活が営まれていますが、周縁部では事態はまったく違ってきます。
 
 
 周縁部では、中心部での豊かさを支えるために、ほとんどむき出しのかたちでさまざまな暴力が振るわれつづけています。先にも述べたように、コンゴだけで見ても、ここ20年ほどのあいだにアウシュヴィッツに匹敵する数の人びとが死んでいるので、地球全体でみると、搾取や純粋な暴力の犠牲になる人びとの規模は、おそらくは想像もつかないほどのものになるでしょう。
 
 
 ここで注意しておく必要があるのは、帝国の中心部は周縁部にたいして、経済的な介入のみならず、つねに政治的・軍事的な介入をも怠ってこなかったという点です。
 
 
 たとえば、アメリカは戦後の短い間だけを見ても、グアテマラやコンゴをはじめとするさまざまな国の内情に深くかかわり、政治体制の転覆に成功したことが知られています。
 
 
 このことは、アメリカだけに言えることではなく、他の国々も、それよりも控えめなしかたではあれ、帝国の秩序の維持にかかわりつづけてきました。帝国のシステムにおいてはそれぞれの要素が密接に連関しているので、「まったく罪のない先進国」がひとつも存在しないということは否定できないように思われます。
 
 
 
ネグリ ハート リベラル・デモクラシー アウシュヴィッツ コンゴ アメリカ
 
 
 
 こうしてみると、いわゆる政治的なものの次元は、ふつうに思われているよりもはるかに深いしかたで私たちの日常を作りあげていることがわかってきます。
 
 
 私たちの国では、政治的なものへの無関心について語られることがよくあります。けれども、私たちの生活のあり方は、国内の政治の手前で働いている帝国の政治のほうで決まっている部分もきわめて大きいのではないだろうか。
 
 
 帝国の周縁部においては、「政治的なものは軍事的なものとの関わりなしにはありえない」という古くからの鉄則が、今日も実地で証明されつづけています。筆者自身もそこから生みだされる豊かさの恩恵にあずかりつづけているので、正直に言ってあまり深く考えたくないところですが、このあたりでそろそろ自分自身の状況に立ち戻ってみることにします。