イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

最後の三浦綾子さん

 
 日々は流れてゆきますが、時おり、自分の人生の道について考えこませるような出来事も起こります。先月末には、作家の三浦綾子さんと生前に親交のあったS先生と、たまたま少しお話させていただく機会がありました。
 
 
 S先生は、三浦綾子さんの後半生には、彼女の自宅を訪れることもしばしばあったそうです。ご主人の光世さんに口述筆記してもらって、二人三脚でお仕事に取りくんでいた様子など、いくつか思い出を語っていただきました。
 
 
 とくに印象的だったのは、S先生がスピーチの席上で伝えてくださった、最晩年の三浦綾子さんの次のような言葉でした。
 
 
 「先生、わたし、神の愛を伝えたいんです。」
 
 
 その頃には、病がちな綾子さんはリビングのソファーに横たわりながら訪問客を応接していたそうなのですが、そのときの彼女は身を起こしてS先生にしがみつくようにして、そう言ったそうです。夫の光世さんは、「お前、先生が困ってるじゃないか」というような意味のことを少し狼狽しながら言ったそうですが、S先生には、その時の綾子さんの思いつめたような様子がとても強く印象に残ったとのことでした。
 
 
 
三浦綾子 神の愛 哲学 文学
 
 
 
 信仰者としてもそうですが、このエピソードを聞いたあと、哲学と文学という違いはあれ、言葉の営みにかかわろうとしている人間としても、しばらく自分自身のことを振りかえって考えさせられてしまいました。
 
 
 何かを書いて他の人びとに読んでもらいたいならば、まずは自分のうちに、心の底から伝えたいと思うようなものがなければならないのではないか。自分はこれまでの人生において色々なものを書いてきたけれど、その時の三浦綾子さんと同じくらいに強い思いをもって何かを書いたことが、はたしてあっただろうか。
 
 
 その日にS先生から直接にお話をうかがえたことで、もともと書こうと思っていたことから、少し方向を変えられたような気がします。人生は、他の人の生きざまに触れることによって、自分自身の生き方も変えられてゆくということのくり返しなのかもしれません。