イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

テロと移民の時代における人権

 
 「役に立たない人間は、この世から消えた方がいい」というロジックの背後には、「人間は、働いて何かを生産するかぎりにおいてのみ価値をもつ」という人間観があるとすれば、このロジックに立ち向かうためには、私たちは、次のように主張する必要があるように思われます。


 「人間は、生きているかぎり無条件で価値のある存在である。」


 これは、生産することではなく存在することのうちにかけがえのなさを認める人間観です。その意味では、この考え方はdoingのロジックにではなく、beingのロジックにもとづく人間観であると言ってもよいかもしれません。


 このような考え方は、人権という概念のうちにもともと内包されているものです。自由権から平等権へ、さらには社会権へと進んできた人権というイデーのうちには、生きているかぎりはどんな人間の生存をも守りぬくという力づよいベクトルが存在しています。


 人権という考え方は今日では当たり前なものにもみえますが、筆者がいまあえてこのような考え方を問題にしたいのは、筆者には、今の時代は、このイデーそのものがしだいに希薄化してゆく危機に立たされているようにみえるからに他なりません。



役に立たない doing being 人権 イデー



 「人権なんて、ただのフィクションにすぎないではないか。お花畑で夢を見るのはやめて、現実を見てみろ……。」


 9.11以降に頻発するようになり、近年ではさらにその勢いを加速させているテロや戦争、あるいは第三世界における内戦などといった現象は、いっこうに鎮静化する気配がありません。


 また、昨年にはイギリスのEUやアメリカの大統領選挙が話題になりましたが、移民をめぐる問題においては、人種や宗教のちがう人びとを力づくで追い出してでも自国民だけを守るという方向に世界中の先進国がシフトしてゆくという状況にあります。


 こうした時代情勢のなかで、人権というイデーはいま、外面的には擁護されていても、内側ではその真実性を信じていない人が数多くいるという危機に立たされているのではないでしょうか。もう少し、この路線にそって考えてみることにします。