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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

おとぎ話の効用、あるいはローティのユートピア

人権はリアルである 哲学
 
 「人権なんて、ただのフィクションにすぎないではないか。」このような意見に直面するとき、私たちはいったいどのように答えたらよいのでしょうか。


 この点については、ここ数十年の歴史の流れにおいて、おおむね次のような方向で答える知識人は少なくなかったのではないかと思われます。


 「そうだ、確かに人権というのはフィクションだ。この概念がここ最近になって人類が発明した作り話にすぎないというのは、私も認める。


 だがね、ちょっと考えてみてくれたまえ。このフィクションがなくなったら、一体どうなる?


 たちまち、世界中は悪夢のボスニアと化すだろう。人権という概念が本当は白雪姫に出てくる小人ばりのおとぎ話だとしてもだね、きみ、そのおとぎ話がなくなった時に流れる血のほうはアニメなんかじゃなく、まぎれもない本物の人間の血なんだぜ……。


 だからこそ、ここはひとつ、このおとぎ話を人類みんなで守っておいたほうがよいのだ。世界人権宣言もアムネスティ・インターナショナルも、すばらしいじゃないか。見方を変えればだ、おとぎ話が世界の平和を守るというのは、なかなか気のきた話とは思わんかね……。」



人権 フィクション ボスニア おとぎ話 リチャード・ローティー リベラル・ユートピア



 すこし芝居がかりすぎているような気もします。しかし、価値観が相対化しつくした観のあるこの現代で人権というイデーを守ろうとするならば、このような大枠で議論を進めるというのは、ある意味では自然の流れであるといえるのかもしれません。


 現代の社会思想に関心のある方の中には、ここでリチャード・ローティの議論を思い出す方もいるかもしれません。かれの主張するリベラル・ユートピアという理念は、おおむね上のような主張を洗練させていったところに成立するものであるといえそうです。


 さて、このような主張によって、はたして人権の理念を守りぬくことができるのでしょうか。昨年の出来事をふり返ってみると、どうも、そううまくはゆかないような気もしてきますが……。