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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

「本音で生きようじゃないか……。」

人権はリアルである 哲学
 
 「人権は、たとえフィクションであるにしても守っておいた方がよい。」前回の記事で見たこの主張にたいしては、次のように言う人が出てくる可能性があります。


 「うはは、そんなまどろっこしい理屈だけで、世界が守れるものかね。私に言わせればだ、ローティのリベラル・ユートピアなんて、中上流階級のいい子ちゃんが見てる、お花畑の夢にすぎんよ!
 

 だが、リベラルどもには、見たい夢を見せておけばいいのだ。やつらの教養ごっこにのってやるなら、カフカの『ジャッカルとアラビア人』そのものだね!吠えたいだけ吠えてるが、実際には世の中を何ひとつ動かせやせんのだ……。


 私自身はといえばだ、人権なんてたわ言にはもう、うんざりなのだ!そんな、小学校の朝礼より退屈なきれいごとなんて、誰が好きこのんで聞きたいものかね。もっとみんな、すべてをふり捨てて、本音で生きてほしいものだ……。


 だがね、うれしいことに、世界の人びとの多くは、私みたいな正直者を求めてる。それこそ、人権を踏みにじるようなエキサイティングな発言を、リツイートしたりいいねしたりしたくてたまらんのだ!いやなに、それすらしなくても、人目を避けて、影で私のような人間たちをこっそり応援してくれるだけだって構わんのだぜ……。」



人権 フィクション リベラル カフカ ジャッカルとアラビア人 リチャード・ローティ


 
 もちろん、筆者としてはこのような主張にたいして同意することは決してできませんが、昨年のニュースを見ていると、今後の思想はこのような声にたいして耳を閉ざしつづけることはできないのではないかと思われます。


 これまで、筆者自身もリチャード・ローティからとても多くのことを学んできましたが、おそらく、今の時代はローティのような人が予想していたよりもいくぶんか先にまで進んでいるのではないか。少なくとも、人権の確立やマイノリティの擁護といった近代の成果が、実際の場面においてのみならず、思想の面からも揺るがされつつあることは事実です。


 これは一言でいえば、堅苦しい建前を一切かなぐり捨てて、むき出しの本音で生きようという立場です。この立場にたいする応答を考えることは、今の思想が引き受けるべき大きな課題のひとつなのではないかと思われます。
 
 
 
 
 
 
 
 
[写真は新大統領の就任という時節にちなんで付けたものであって、今回の記事は特定の人物を念頭に置いて書かれたものではないことを、ここにお断りしておきます。]
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)