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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

Mr.ジョーカーと炎上の世界

人権はリアルである 哲学
 
 「人権なんてフィクションはかなぐり捨てて、本音で生きようじゃないか。」このような立場に立つ人を、かりにMr.ジョーカーと呼ぶことにしましょう。Mr.ジョーカーとしっかり向きあうために、もう少しかれの言葉に耳を傾けてみます。


 「私みたいな正直者は、考えてみると、現代のスターそのものなのだ。TVや新聞の権威はここのところ、世界中で急速に失墜してる。その代わりにやって来つつあるのは、罵詈雑言からまるっきりウソの情報まで、何でもありの愉快なインターネット時代だ!


 楽しいぞ、じつに楽しいぞ。何しろ、カマトトぶったいい子ちゃんたちを糞味噌にけなせばけなすほど、アクセスもジャンボスロット級に増えてゆくのだ!


 人びとは、炎上を求めてる。いつでも、安全に石を投げて楽しめるスケープゴートを血眼になって探しつづけているのだ。合言葉は二つだけ、『難しい理屈はもうたくさん』、それに、『「ムカつく」ほど強いものはない』というわけだ……。」



人権 フィクション Mr.ジョーカー



 Mr.ジョーカーの言い分を聞いていると頭が痛くなってきそうですが、かれのような人の主張が、この現代という時代においては爆発的な感染力を持ってしまいかねないという点については、いくら注意してもしすぎることはないでしょう。


 読んで色々なことを考えさせる情報というのは、消化するのに手間がかかります。それに比べて、何も考えずに快を味わえる情報のほうは、それこそウイルスばりの勢いで一瞬のうちに拡散・増殖してゆくことができる。


 それから、Mr.ジョーカーの言葉のうちで忘れることができないのは、かれのような人の言葉は人間のうちにある憎しみの感情に訴えかけるのだという、最後のセリフです。そんなものが力をもつとは思いたくないところですが、かれの言い分が正しいかどうかは、それぞれの人が実際のインターネット空間を見回して、判定を下してみるしかないようです。




 
 
 
 
[今回の記事のテーマについては、以前に倫理についての探求の中でも少し取りあげたことがあります。また、TVとインターネットの関係は、現在はもっとずっと複雑なものになっていると思われますが、その点についてはまた別の機会に考えてみることにします。]
 
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)