イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

反人権的なマインド

 
 そもそも、人権というイデーには、疑いを挟もうと思えば、いくらでも挟めるものであると言えるかもしれません。フランス革命で有名な人権宣言の第一条には、次のようにあります。


 「人間は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、また存在する。」


 現実の人間を見れば、体格から容姿、貧富の差から知的能力にいたるまで、それぞれの人には差があるのは明らかなのに、なぜ権利における平等などといえるのか。自由だって、昔は奴隷もいたわけだし、すぐれた人間や人種のみが自由をもつという考え方だって、ありうるはずだ・・。


 フランス革命からこれまでの歴史においては、それこそナチス・ドイツのような例外をのぞいては、正面からこのような考え方を主張する勢力はほとんど出てくることがありませんでした。それでも、このような考え方が少なくともロジックとしては筋が通ってしまうことは、否定しがたいように思われます。


  したがって、ひとがこのような主張に立ち向かおうとする場合には、理屈で論破する以外のやり方が必要になるでしょう。前回の記事で「信念と信念のぶつかり合い」とい表現を用いたゆえんです。



人権 フランス革命 ナチス・ドイツ 反人権
 
 

 例外的であるとはいえ、相模原の事件や、ナチス・ドイツのようなケースを考えてみると、反人権的なマインドは、私たちの時代においても、いつでも回帰してくる可能性があるということがわかります。


 筆者は、この危険は、私たち人間が社会をつくりあげてゆくかぎり、いつでも対峙しつづけなければならないものなのではないかと考えています。反人権的なマインドは、過去の時代にすでに乗りこえてしまったものとすぐに片づけてしまうわけにはゆかないのではないか。


 筆者が今の時点でこの問題を取りあげたいのは、個人的な事情でこの問題に突きあたっているからというのもありますが、同時に、この問題こそが今の時代に問われていることの核心に触れてもいると思うからです。私たちは、ゆっくりと時間をかけてではありますが、反人権的なマインドが暗いところでしだいに存在感を増してゆくような時代を生きているように思われます。