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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

2017年初頭、どのポジションでゆくべきか?

人権はリアルである 哲学
 
 今回はすこし肩の力をぬいて、これまでに考えたことをまとめておくことにしましょう。人権というイデーについては、さしあたっては次の三つの立場をとることが可能です。


 A.「人権なんてフィクションにすぎないのだから、いざという時には踏みにじっても構わない。」(Mr.ジョーカー)

 B.「人権はフィクションにすぎないけれども、守っておいたほうがいい。」(アイロニカルなリベラル)

 C.「人権はリアルである。しっかり守るべきだ。」(ナイーブで熱い人びと)


 Aの立場の人の数があまりにも増えすぎると、数字至上主義でエコノミック・アニマルでトランポノミクスなビジネス右派の世界をはるかに超えて、ゲシュテルでネオナチな悪夢の世界がやって来てしまうので、注意が必要かもしれません。Bの立場の人が優勢な世界はそれに比べるならばはるかによさそうですが、多少なりともニヒリズムの雰囲気が漂っていることは否定できません。

 これに対して、Cの人が増えるなら、世界が今よりも暑苦しくなることは避けられなさそうですが、ガンディーやオバマ前大統領やオビ・ワン・ケノービといった人たちが力づよく支持するのは、三つの中ではCの立場なのではないかと思われます。筆者も、このCの立場を支持します。



人権 フィクション ゲシュテル ネオナチ ニヒリズム ガンディー オバマ オビ・ワン・ケノービ ヒューマニズム



 さて、Cの立場のうちにも、少なくとも次の二つの立場があるといえそうです。


 C1.「人権は、人間がまさしく理性的存在としての人間であることにもとづく。」(ヒューマニズム

 C2.「人権は、最後のところでは人間にたいする神の愛にもとづく。」(信仰者)


 近代思想の世界においては、C1がおおむね公式のスタンダードともいえる見解でした。個人の信仰をパブリックな領域にはそのまま持ちこまないという原則は守りつつ、対話の領域では議論がもっと開かれたものであってもよいのではないかというのが、筆者が支持するC2の立場です。


 この時代に近代のヒューマニズムを思想的に守りぬくというのも気骨がありますが、筆者は、アルカイックなものの回帰にもみえるC2の立場こそが、むしろ古来からの思想の王道なのではないかと考えています。この点、時代状況の認識も含めて、もう少しくわしく考えてみることにします。
 
 
 
[A、B、Cの三つの立場について、より詳しいことはこちらの記事をごらんください。]